イエス様に出会った人、ケネス・ヘーゲン

<幻について>
 主が私の人生を取り扱われ続けるうちに、彼は何度か幻の中で私に姿を現わされました。幻に対する聖書的背景を理解するためにペンテコステの日にさかのぼって見てみましょう。その日ペテロは立って、力強い聖霊の注ぎによって120人の男の人と女の人が異言で語っているのを見て驚いて集まってきた人たちに向かって大胆に説教しました。この群集に対するペテロのメッセージの一部が使徒の働きの第二章に書かれています。

「そこでペテロは11人と共に立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。『ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
これは、預言者ヨエルによって語られた事です。「神は言われる。終わりの日に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、私のしもべにも、はしためにも、私の霊を注ぐ。すると彼らは預言する。また、私は、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇となり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」』(使徒2:14-21)

信者たちが異言で語っているのを見て、群集はびっくりしました。「人々はみな、驚き惑って、互いに『いったいこれはどうしたことか。』と言った。しかし、ほかに『彼らは甘い<訳者注 新しい>ぶどう酒に酔っているのだ。』と言ってあざける者たちもいた。」(使徒2:12,13)
しかし、ペテロは大胆に、そしてきっぱりとこう言いました。「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。」(使徒2:16)そして彼は続けてヨエル2:28-32に記されているヨエルの預言をとりあげて言いました。言い換えると、ペテロは人々の見ているこの御霊の現れは、何世紀も前に神の預言者によって予見されていたということ、そしてヨエルは、新しい時代、新しい神の恵みの日、そして、「終わりの日」のはじまりのことを予告したのだということを説明したのです。今日、私たちはこの「終わりの日」の最後の時に生きているのです。
聖霊が注がれて成就したヨエルの預言の中の1つのことは、「…若い男は幻を見る。」です。詳訳聖書ではこうなっています。「あなたたちの若者たちは、…神が与えられる幻(出現)を見…」(使徒2:17)これからの数ページに渡って私は、33才の若者だった頃神が与えてくださった幻についてお話ししたいと思います。
<イエス様の幻、顕現>
この体験は1950年の8月の終わりから9月はじめにかけてテキサスのロックウェルでリバイバル天幕集会をしていた時のことです。9月2日の土曜日の日は1日中雨が降り続きました。それは、強いたたきつけるような雨ではありませんでしたが、しとしととやさしく降り続く、しみとおるような雨でした。その夜、集会の始まる時間になってもまだ雨は降り続いていました。
私たちがテントにつくと、ほんの40人ぐらいの人しか来ていませんでした。ロックウェルはテキサス州中北部の黒土地帯にあります。誰かが言ったことばによると、人が晴れている時、黒土と付き合い、毎日忠実に(stick with)働くなら、雨の日には黒土はべったりくっついてくる(stick with)のです。その集会につどっていた多くの人々はこの地方に住んでいましたから、雨と泥のために礼拝に来ることができませんでした。そのため、その土曜日の夜に集まった人は少しでした。
 集まった人たちはみんなクリスチャンでしたから私はただ聖書の教えをし、人々に祭壇のところに来て祈るようにと招きました。私たちは9時半ごろに祭壇の周りを囲むようにして集まりました。一つ言っておきたいことは、私はそれから起きたようなことが起きるとは全然期待もしていなかったということです。私は自分が初めて月に着陸する人間になると期待していなかった以上にそういうことが起きることを期待していませんでした。私は特別に祈ったり断食したりということはしていませんでしたし、そういう体験をするようにとも祈っていませんでした。事実私はそんなことなど考えたことすらなかったのです。
 
みんなが祭壇の周りで祈っていました。そして私は講壇の上の説教壇のそばにあった折りたたみ椅子のところにひざまずきました。私は霊で、すなわち異言で祈りはじめました。異言で祈っていると私は「ここに上って来なさい。」という声を聞きました。始めはその声が本当に私に対して語られていることに気づきませんでした。私はみんなもその声が聞こえたと思いました。
 「ここに上って来なさい。」その声はまた言いました。私が見るとテントの天辺と思われるところにイエス様が立っておられるようでした。私がもう一度見上げると、テントが消え去りました。折りたたみ椅子が消え去りました。全てのテントの中の人たちが消え去り、説教壇が消え去りました。そして神様が私に霊的世界を見せて下さったのです。
 イエス様がそこに立っておられました。そして私は彼の前に立っていました。彼は魂を救いに導き、勝ち取った人々の冠を持っておられました。この冠は全く並外れて美しく、人間の言語をもってしてはどうしても説明することのできないようなものでした。イエス様が言われるには、この冠は全ての彼の子供たちのものだけれど、彼らはしばしばあまりにも忙しすぎてそれを得ることができないのです。彼らは彼の命令をさしおいて言うのです。「主よ、後でやりますから。」そして彼らが彼に従わないがゆえに魂が滅んで行ってしまうのです。

 イエス様がそう言われた時、私は彼の前で泣きました。私はひざまずいて自分のあやまちを悔い改めました。するとイエス様がまた私に言いました。「ここに上ってきなさい。」私は彼と共に空中を登って行き、美しい町に来たようでした。私たちは実際にはその町には入って行きませんでしたが、人が山に登って町を見渡し、谷間にある町を見下ろすように、その町を近いところから見ました。その美しさといったら言葉ではとうてい言い表せません!
 イエス様は言われました。人々は天国に行く準備ができていると言います。彼らの回りの多くの人々は暗闇で、希望もなく過ごしています。イエス様は私に自分の希望をそれらの人々に分け与え、彼らが私と一緒に来るように招いて欲しいと言われました。
<地獄を見る>
 そしてイエス様は私の方に向くと言われました。「さあ、今度は地獄に下って行きましょう。」
私は天国から出て下に降りて行きました。そして地球に来ても止まらず、下へと降り続けました。数え切れない聖句において聖書は地獄が私たちの下に存在すると言っています。
例えば「下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき…あなたはよみに落とされ」(イザヤ4:9,15)「それゆえ、よみは、のどを広げ…そこでの歓声も、よみに落ち込む。」(イザヤ5:14)
 私たちは地獄に降りて行きました。そして私たちがその場所に来ると人間たちが炎につつまれているような光景を見ました。
私は言いました。「主よ、これは私が1933年の4月22日土曜日の夜、死んでこの所に来たときに見たのとそっくり同じです。その時あなた方が話されたので私はここから逃れて昇ってきました。そして私はその時、悔い改めて祈り、あなたの赦しを求めました。そしてあなたは私を救って下さったのです。ただひとつ今は全然違う感じです。私は恐くありません。その時感じたような恐怖がないのです。」
 イエス様は男の人や女の人にこの場所に来ないように警告しなさいと私に言われました。そして私は涙を流してそうしますと叫びました。
 そして彼は再び私を地球に連れ戻されました。私は自分が講壇の上の折りたたみ椅子のところにひざまずいているのに気づきました。そしてイエス様が私の横に立っておられました。

彼はそこに立って私の奉仕について語られました。彼はその概要を話されました。彼は後にそのことについて他の幻においてもっと具体的に詳しく説明されました。そしてイエス様は消え、私はまだ講壇にひざまずいている自分に気づきました。自分の周りの人々がみな祈っているのが聞こえました。
 その時、再び聖霊様が私の上にやって来ました。それは風が私の上で吹きまくっているような感じでした。そして私は講壇の上にぺったりと顔をつけて倒れました。私が神の力の下で横たわると、私はどこか自分の周りを何マイルも何マイルも見渡せるような平らなところに立っていました。それは丁度私たちの国にある大草原に立つとどの方向もはるかかなたまで見渡すことができるのと同じようでした。
 私は全ての方角を見回しましたが、何一つとして生きているものが見当たりませんでした。そこには草もなく、花もなく、どんな植物も生えていませんでした。そこには鳥も動物もいませんでした。私はとっても孤独に感じました。私が西の方向を見ると小さな点のようなものが地平線のところに見えました。始め、それは何か動いているものとしか見えませんでしたが、私はそれをずっと見つめていました。見てみると、それはだんだん大きくなってきて、私の方に向かってきました。私がなおもそれを見つめているとだんだん形が見えてきました。
 すぐに私はそれが馬であると分りました。それからもっと近づいて来ると、私には馬に乗った一人の人が見えました。彼は猛スピードで馬を走らせて私の方に向かって来ました。私は彼が近づいて来るのを見ました。彼は右手でぶちの馬の手綱をつかみ、左手に紙の巻物を持って頭の上に高くかかげて言いました。
 私は前に言ったように、地上の状況に対して無意識の状態で、どこか宇宙の平らなところにぴんと突っ立っているようでした。馬に乗った人が私のところへやって来ると、彼は馬の手綱を引いて、私の前で止まりました。私は彼の右側に立っていました。彼は巻物を左の手から右の手に移すとそれを私に手渡しました。
 
私がその巻物を開くとそれは12〜14インチ(30〜35cm)ほどの紙を巻いたものでした。彼は言いました。「取って読みなさい。」その紙の一番上には大きく太い黒の活字でこう書かれていました。「戦争と破壊」私は唖然としてしまいました。彼は私の頭に手を置いて言いました。「イエス・キリストの名によって読みなさい。」私はその紙に続いて書かれていることを読み始めました。そしてその言葉が私に示す通りのことを私は見、読んだ通りのことを見ました。
 まず最初に私は何千何万という軍服に身を包んだ男の人たちについて読みました。そして私はこれらの男の人たちが行進しているのを見ました。兵士たちが次から次へと波のように行進を続け、戦争に出て行くのでした。彼らが向かっている方向を見ると見渡す限りずっと男の人たちが行進していました。
 私は再び巻き物を読みました。そして見ると今ちょうど読んだことが見えました。多くの女の人たちが見えました。雪のように白い髪をした老人や、中年の人や、また若い女の人、10代の人もいました。若い人たちのうちの何人かは腕に赤ん坊をかかえていました。女たちはみんな悲しみのために、腰をかがめて激しく泣いていました。赤ん坊を抱いていない女たちはお腹に手をあててかがみ、泣いていました。涙がとめどもなく彼らの目から溢れ出ていました。
 私は再び巻き物を見ました。そしてまた、見てみると、読んだ通りのことが見えました。大都市のビルが空と接する輪郭線が見えました。よく見ると、それらのビルは焼き尽くされた殻のようになっていました。そして町の一部は廃墟となっていました。一つの町だけが破壊され、焼かれ、廃墟とされると書かれてあったのではなく、そういう町が多くあると書かれていました。
 巻き物の文は第一人称をもって書かれていて、イエス様ご自身が話しておられるような感じでした。私はこう書かれているのを読みました。「アメリカは最後の招きを受けている。ある国々はすでに最後の招きを受けてしまっており、それらの国々は二度と再び招きを受けることはない。」そして大きな活字でこう書かれていました。「全てのものの終わりの時が近づいている。」この文は4回か5回繰り返されていました。

そしてこのように続いていました。「この終わりの日において教会ではすべての御霊の賜物が働くようになる。教会は初代の教会がなしたよりももっと大きなことをする。使徒の働きに記されているよりももっと大いなる力としるしと不思議とが起こる。私たちは多くの癒しを見、体験して来た。
しかし、今や、私たちがこれまで見たことのなかったような驚くべき奇跡を見るようになる。これからの終わりの日(終わりの日の最後のこと)において、もっともっと多くの奇跡がなされる。なぜなら奇跡を行う力の賜物がもっと顕著になる時だからである。私たちは今や、奇跡の領域に入っている。私自身の民の多くは私の御霊の動きを受け入れず、あとずさりして私と会う準備ができないまま私の再臨の時を迎えてしまう。多くの人々はサタンに起源をもつ偽りの預言や偽りの奇跡によって惑わされる。しかし私に従いなさい。そうすればあなたは惑わされることがない。私は自分自身の民を集め、彼らに準備をさせている。なぜなら時は縮まっているからだ。」

それから、注意して、目をさまし、祈り、惑わされないようにしなさいという他のいくつかの勧告がありました。そして私はこう書かれているのを読みました。「人の子の来臨は、ノアの時代のようである。私がノアに『あと7日したら、40日40夜の間雨を降らせる。そしてすべての生き物は地の面から滅ぼし去られる。』と言ったように、今日、私はアメリカに最後の警告を与え、悔い改めるように叫んでいる。そして残されている時はノアの時の最後の7日間に等しい。
ノアが彼の時代の人々に警告したように、この時代の人々に警告しなさい。なぜなら、審きがすぐにも下されようとしているからだ。そして私はすぐに来るということは近く成就される。これは最後のリバイバルである。私は自分の民を私の来臨のために整えている。審きが来ようとしている。しかし、最も悪いことがやって来る前に私は私の民を呼び集め、私自身のもとへ逃れさせる。しかし、忠実であり、気をつけて祈っていなさい。」
そしてメッセージは次の言葉で終わっていました。「なぜなら、全てのものの終わりが近づいているから。」

その晩、私がこの幻を見ていた時テントに集まっていた人たちは、私が30分ほどの間その巻物を声を出して読んでいたと言いました。私がその巻物を、馬に乗った人に返すと、彼はやって来た方向を戻って行きました。
すると私は自分がまだ床の上に顔をつけて横たわっているのに気づきました。そして、数分の間、この奇跡の訪れの栄光を感じながら、その姿勢でとどまっていました。再び私は「ここに上って来なさい。」という声を聞きました。そして、今度はその声がこう言いました。「ここに上って来なさい。神の御座のところに上って来なさい。」
ケネス・ヘーゲン著、「私は幻を信じるの翻訳です。彼はアッセンブリーの牧師です。