信仰とは何?

聖書が言う信仰とは何だか知っていますか?
聖書ローマ人書10:17には、信仰は聞く事から始まり、聞く事はキリストについての御言葉による。と書かれています。
 つまり、信仰とは聖書の御言葉を聞いて、心の中で信じる事から始まるのですね。
ただ信じるのですが、それを聖書は次のように言っています。
ヘブル書11:1で、信仰とは、望んでいる事柄を補償し、目に見えないものを確信させるものです。
 もう少し簡単に言うと、信仰とは、聖書の御言葉の中で主イエス様が成し遂げて下さったものを、
その書かれた御言葉が目に見えなくても、神が御言葉を補償してくれるものとして、確信する事です。
 例えば、主イエス様が十字架にかかられて死んだ理由は、私たちの罪には神は死刑と決められました。しかし、私たち人間に死刑の刑罰を要求しないで、神の一人子である主イエス様に全て背負わせて、十字架で死刑の刑罰を執行されました。
 それが人々が首にぶら下げて、飾りにしている十字架なのです。
 つまり十字架は私たちの罪を主イエス様が背負って、死刑の刑罰を私たちに代わって、受けて下さったと聖書に書かれています。
 ここに神が私たちを愛する、神の愛があります。
 キリスト教とは宗教ではありません。私たちに善行を死なさいとか、良い人に代わりなさいとかは、要求していません。
 それと反対に、神は私たち全人類の最大の問題である罪を御子、主イエス様が背負って、十字架の死刑に、私たちの身代わりに着いて下さった。
 ここに神の偉大な愛がある。
 これが全聖書の言っている事を一言で言ったものです。
 それは神の愛の書なのです。神から人へのラブレターなのです。
 聖書の創世記において、神は地上に神の子供を沢山作りたかったのです。
 ですから生めよ増えよ、地を満たせと仰せられました。
 しかし、人は善しか行う事の出来ない、ロボットとしては創造されませんでした。
 人は全く自由に創造されました。善を行うのも自由、悪を行うのも自由です。

 しかし、もう一つ困った問題があります。天使の中に神に反逆し堕落した者が出てきました。
これが元天使の頭、ルシファーであり、悪魔となってしまいました。多くの天使が堕落し、悪霊と化してしまいました。
 この人の自由意志による罪と悪霊たちの働きによって、地球上は地獄と化してしまいました。
人は怒り、盗み、殺しなどを行うようになり、神は罪の呪いとして、聖書の申命記28章に三つの呪いが書かれています。
 ①霊的死の呪い   ②病気の呪い  ③貧乏の呪い
 しかし、主イエス様は木にかけられ、人類に罪の呪いそのものとなられました。
 つまり、人は罪を犯し、その罪の呪いとして死と病気と貧乏がかかって来るようになりました。
 しかし、キリストは私たちの罪と呪いを背負われ、木の十字架にかかられました。
 ここに神の偉大なる愛があります。
 神は人を自由に創造され、その自由によって、人は悪を行い、地球は悪で満ちるようになり、罪の呪いの死と病気と貧乏が満ちるようになりました。
 しかし、その問題の全てをキリストは背負われ、十字架に付けてしまわれました。
 これが聖書の言う福音です。
 聖書の言う信仰とは何か? 
 それはこの聖書に書かれた事の事実を信じますか? と言う事です。
 これを信じる事を信仰と読んでいるのです。    
 今回は信仰のお話しでしたね。     おしまい。またね。