人は何故生きるの?

 人は何故生きるの? この答えが聖書に書かれています。
 人は一生懸命に働き続けます。そして私も定年前に製造業は仕事がなくなり、49才にして無職となり、今まで、何の為に一生懸命働いて来たのだろうかと考えさせられました。
 人はただ死んだらおしまいであるのなら、この世では好き放題し続けて、快楽を求め続けるしかないのでしょうか? もしそうなら、人は人を助け続けた、医師も殺人犯もあまり変わる事がなく、みんな死んでしまい無になってしまうのでしょうか?
 聖書を見ると、神は地球を創造し、人にこの地球の全ての生き物を支配させようと仰せられました。神は人を地球の全支配をさせる神の子供として創造されたと書かれています。
聖書イザヤ書43:7私の名で呼ばれる全ての者は、私の栄光の為に、私がこれを創造し、これを形造り、これを造った。
 人が神によって造られた本来の目的は神ご自身の栄光を現す、器として造られたのです。多くの神社でお祭りが行われ、ミコシがありますが、それは日本がイスラエルの風習をどこかで、行うようになったからです。
 それらは旧約聖書に出て来る、神の入った箱のそのままです。しかし、それは本来、人間の姿を表わしています。私たちは神の宮として造られた。つまり私たちこそがお神輿なのです。
 その神の子として、神の霊と命を持つ為にイエス・キリストは十字架で死なれ、復活されました。キリストは三位一体の全能の神でした。しかし、人に神の命を与え、神の霊を与えて、本来の父なる神の創造を行う為に地上に人となって来られました。
 そして、今の全人類の元祖であるアダムの性質、罪の性質、肉の性質を十字架の死につけてしまわれました。創造者の死は全人類の死でした。そして死だけではなく、キリストは復活されました。人は罪によって死が全人類に広がりました。しかし、キリストは人となり、この死に打ち勝たれました。
 十字架の死は人の罪を背負われ、ただ信じる者の罪を許す道を作られました。キリストは木にかけられ、罪の呪いとなられ、罪の呪いである霊的な死の呪い、病気の呪い、貧乏の呪いそのものとなられました。それを信じる者はこれら三つの罪の呪いから解放して下さいました。
 キリストの復活は人の罪の結果の死を打ち破ってしまわれました。信じる者は死ぬ事がなく、永遠の命が与えられます。
 人はキリストの十字架の死を信じる事により、罪の許しを受ける事が出来ます。古い人がキリストと共に死んだ事を信じる事で罪の性質からの解放を得る事が出来ます。病気も貧乏もそれらは罪の呪いでした。
 しかし、キリストが呪われた者となり、これらの病気を背負ってしまわれました。イザヤ53章には病いを負い、痛みを担ったと書かれています。キリストは私たちの為に貧乏になられ、私たちが富む者となるとも書かれています。Ⅱコリント8:9
 私たちは何かできるでしょうか? 何も出来ないのです。全ての問題はキリストが解決してしまわれました。私たちに出来るのは、ただ信じる事が出来るだけです。
 これが聖書の教える信仰なのです。人はただ信仰によって生きる事が出来るだけです。
 つま人がキリストの行い、既に達せいした全てのみわざを信じて生きる時、その時に、人は人間としての創造の目的である、神の栄光を現して生き続ける事が出来ます。
 これが神が人間を創造された本来の目的に従って生きる事です。
ヨハネ14:6イエスは言われた。「私が道であり、真理であり、命なのです。」私を通してでなければ、誰一人として父の御許に来る事はありません。 
 今日は、人は何故生きるのかについて書きました。 また