地獄を見たコロンビア人 Ⅲ

地獄を見た7人のコロンビア人 Ⅲ

イエス・キリストは7人のコロンビア人一同を天国と地獄に連れて行かれた。天国の栄光・地獄の悲惨に関する彼らの証言をお読みください。

      • (4番目の証言) ---

兄弟たちよ、神の幸福が訪れますように。主イエスが私の手を取られたとき、私たちは岩の上にいました。後ろに一人の天使の姿を見かけました。すると、信じがたい速度で洞窟のトンネルをみんなで通り始めました。あの天使がいなくなった事を気づくと、恐くなりました。「主よ、あの天使はどこにいらっしゃいますか? 何故ここにいらっしゃらないのですか?」 と私は主イエスに聞いた。主の答えとは「これから私たちが行く場所に、彼は行けない。」でした。
私たちはすぐに到着しました。そこには数々のドアがあり、サンドラ姉妹が語られた通り、私たちはあるドアを通りました。手錠をかけられたたくさんの人がフックで頭から吊るされていて、その人たちがかけられていた壁は果てしなく長かった。無数の人が壁にかけられていた。彼らの体中はうじで包まれていた。先を見てみると、同じ様なもう一つの壁を見かけた。私は主イエスにこう言った: 「主よ!こんなにたくさんの人がここにいるなんて!」 すると、私の頭の中に聖書のある文書が浮かんだけれど、どこからの引用かわからなかった。その時、主イエスは次のように言われた:「陰府(よみ)と滅びとは飽く事がない。」(箴言27章20節)

 そしてすぐ 「大釜の谷」に着いた。私たちは、泥が沸いている一つの大釜に近づいた。初めて見えたのは、一人の女性だった。彼女は沸く泥に浮かんでいたが、主イエスが彼女の方に目を向けられとき、彼女は暴れるのを止めた。「女、名前は?」と主は問いかけられ、「ルビエーラです」と彼女は答えた。
ルビエーラの髪の毛は泥だらけで、火に焼きついた体中の肉はぼろぼろと骨から裂けていた。うじは眼窩や口を駆け抜け、鼻の穴から入り耳から出ていた。入れない所には、うじは穴を掘った。それは言い表すことが出来ないほど痛かった。
「主よ、どうか! どうか、私をこの場所から出さして下さい! 私を哀れんで下さい! もうこれ以上耐える事が出来ません! 止めさして下さい! もうここにいられません! どうか、私を哀れんで下さい!」 と彼女は大声で主イエスに懇願した。ルビエーラがその場所にいる理由を主イエスは彼女に問われた。虚栄心を抱いていた為でルビエーラは地獄にいた。彼女の胸にある板金に虚栄心と書かれていた。ルビエーラは片手にごく普通のボトルを持っていたけど、彼女にとってそれは高価な香水だった。実際にはそれはルビエーラの肉を痛ましく溶かす酸性液体だった。
「どうか、私を哀れんで下さい! これ以上ここにいられません! 一瞬の間でもかまいませんから、お願いします!」と 彼女は主に叫んだ。香水を使うのは決して罪ではない。その女性は香水のせいで地獄にいたと主イエスは言われたけれど、その意味とは、彼女は香水を自分の神とし、拝んでいたからだ。主は申命記5章7節ではっきり言われています:「あなたには、私の他に、他の神々があってはならない。」 彼女の人生で最も大切なものは自分の美貌や香水で、虚栄心あふれる生活を送っていた。しかし、主イエスは王の王であられ、主の主であられる! 人間は皆、主イエスを自分の最も大切な存在にしなければなりません。だからルビエーラはそこにいた。悲しい表情で主は彼女を見つられめ「ルビエーラ、もう手遅れだよ。あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたの覆いとなる。」と伝えられたら、彼女は炎に巻き込まれ、大釜の中で焼き尽くされる彼女は激しく痛ましく苦しんでいた。

その後、その場所から遠く離れた所に着きました。そこには、数々の大きいドアがあった。ドアに近づいたら開いて、向こう側には大きな洞窟があった。私は上を見上げた時、煙の雲のように動くカラフルな光線を見かけた。すると、急に音楽が聞こえた。サルサ・バラード・ロックなど人々がラジオで聴くポピュラー・ミュージックのあらゆるジャンルだった。主イエスが手を動かしたら、全てが明るくなった。手を鎖でつなげられたたくさんの人びとが炎の上を乱暴に跳んでいた。
主は私たちを見つめながらこう話しかけられた:「見て下さい、これが踊り子達の応報です。」 彼らは音楽のリズムに応じて野生的に踊らなければならなかった。サルサの音楽が流れると、彼らはサルサのリズムで踊った。彼らには一瞬でも休む事が許されなかった。最悪な事に、彼らの靴の中に12センチのくぎが入っていた。踊るたびに彼らの足はそのくぎに刺された。誰かが休もうとすると、悪霊達はその人を呪いながら槍で刺しサタンを拝むように大声で命じる。「彼を賛美せよ! ここはあんたの居場所だぜ、サタンを賛美せよ! 彼を賛美せよ! 彼を賛美するのを止めてはいかん! 彼を賛美しろ! 彼を賛美しなければならない! 跳べよ、踊れよ! 1秒でも休んではいかん!」
ナイト・クラブで死んだクリスチャンを見るのがつらかった。多分、あなたは「踊る事がいけないなどと、聖書のどこに書いてあるのでしようか」という疑問を持っているかも知れません。ヤコブ4章4節で神の御言葉はこう言われます: 「貞操のない人たち。世を愛する事は神に敵する事である事が分らないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」その他に、第1ヨハネの手紙2章15-17節より:「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もし誰でも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。全ての世にあるもの、即ち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神の御心を行なう者は、いつまでも永らえます。」 世は滅びます、これら全てがいつかは滅びるけれど神の意志に従うものは永らえます。

その場所を離れたら、拷問方法により地獄をふたつに分ける橋を見かけた。歩道橋を歩いている悪霊がいた。その悪霊は地上にある「トレジャー・トロールズ」という人形にそっくりだった。派手な頭に、老人の顔と子供の体を持つ性別を持たない人形である。彼らは邪悪あふれる目つきをしていた。その悪霊は槍を手に取りながら、どこかの女王か国際モデルのように気高く歩道橋を渡っていた。
彼は歩きながら歩道橋の下にいる人たちを槍で突き刺していた。「おまえがクリスチャン教会の前に立って、中に入りたくなかった時を思い出せ! 福音がおまえに伝道された時は聞きたくなかっただろう? クリスチャン・パンフレットをもらったのに捨てた事が思い出せるかい?」 と悪霊は人々をいじめていた。その人々は、耳があるはずの所を手で塞いでいた。悪霊が黙るように彼らが懇願すると、悪霊は彼らの苦痛を更に楽しんでいた。
私たちは主イエスと一緒に歩き続けました。ある人込みを見かけた時、他の誰よりも大きい声で叫んでいる男性が目立った。「父よ、父よ!我らを哀れみたまえ!」 と彼は叫んでいた。主は彼の顔を見る気がなかったらしいけど、「父よ」という言葉を聞かれた時は振るえた。主イエスは彼を見つめこう話しかけられた:「父? 私を父と呼ぶ? いや、私はあなたの父ではないし、あなたも私の子ではない。私の子だったら、あなたは私と一緒に天国の王国にいるはずだ。あなた達は悪魔の子だ。」 その男性はすぐに大きい炎に巻き込まれた。
 主は私たちに、その男性の人生について語られた。主を知っていたため、彼は主を父と呼んでいたのだ。彼は教会に通い、神の御言葉を聞き、神からたくさんの約束ももらっていた。それで「何がありましたか? 何故彼はここにいますか?」と 私たちは主イエスに問うたら、主は次のように答えられた:「彼は二心を持っていた。
 教会の外では彼は全く違う人だった。彼は自分の心の中でこう考えていた:『まあ、私の近所に住む牧師の先生や姉妹兄弟はいないから何でも好きにやればいい。』しかし、主の目は全ての人の歩む道を眺めて、主に嘘をつくことと、何かを隠す事はできない。」
神の御言葉より:「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもする事になります。」(ガラテヤ書6章7節)その男性はほかの誰より数倍苦しんでいた。彼は二重の刑罰を受けていた。罪の刑罰と主を騙そうとした刑罰である。
【現在の人は罪を重さにより順位しようとする。同性愛や強盗や殺害は、嘘や悪口より重い罪だと現在の人は思い込む。しかし、主の御目の前では、これら全ての罪は同じ重さと同じ応報を持つ。「罪から来る報酬は死であり」「罪を犯した者は、その者が死ぬ」と聖書に書いてあります(ローマ書6章23; エゼキエル書18章20節)。 姉妹兄弟よ、友よ。イエスからの招聘を受けてください。主イエスは、只今あなたが悔い改めるようにその御手を差し伸べていられます。神の御言葉により、自分の生き方を変え、罪を悔い改める者を神は哀れまれます。後で後悔し苦しむより、今信じたほうがいいでしょう。神の幸福が訪れますように。】


--- (5番目の証言) ---
ローマ書6章23節に書いてある神の御言葉より:「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
私たちがその場所に到着したら、私は死ぬ事の辛さを感じました。私はそこで見たものに怯えていました。無数、正に無数の人がそこにいる事を、激しい叫び声と泣き声からわかりました。完全に暗い場所でしたが、主イエスの存在は暗闇を消しました。すると、苦しい表情で哀れみを涙で懇願している数千人の姿を見かけました。主イエスが彼らをその場所から取り出すようにせがんでいました。彼らを見るたびに、激しく苦しまれる主イエスの表情を見ると私たちも苦しんでいました。
多くの人は、ただ1分や1秒の間だけでも地獄から出させてもらうように、涙を流し懇願していた。すると、主が「何故ここから出たいの?」と問いかけると、「救われたいからです! 自分の罪を悔い改めて救われたいです!」と彼らは答えた。しかし、彼らには既に遅すぎました。
【只今私達の証言を読んでいる大切な皆様よ。「今」のあなたに、自分の永遠の居場所を決める機会がある。あなたには二つの選択肢がある: 救いの道か、裁きの道か。】
私達は主イエスと一緒に歩き進み、地面は火に焼き尽くされている事に気がつきました。地面から泥と炎が出ていた。どこへ行っても、強い悪臭がしていた。そこにいる人達の叫び声と悪臭の為に、私達は吐き気がしました。

遠い所に、ウエストの位置まで燃える泥の中にいる男性の姿を見た。いくら手や腕を出しても、骨から肉が落ちてしまい泥に溶けた。彼の骨格の中に灰色の煙があった。あれは何かと主イエスに聞きました。同じような煙は、地獄にいる皆にあった。あれは罪の体に閉じ込められた彼らの魂だと主は言われた。黙示録14章11節と同じようなものだった。「彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得られない。」
私たちは全く知らなかった事を理解し始めました。その中で、最も重要な教訓とは次のものです: 地上における私たちの人生が、私たちが永遠を過ごす場所を決める事である。
主イエスに手を取られながら歩き続けますと、地獄は拷問の比強度により分かれている事に気がつきました。人が拷問されている独房の多い場所に着きました。彼らはあらゆる種類の悪霊に拷問されていた。「この憎たらしい惨めな者! サタンを賛美せよ! 地上にいた時と同じようにサタンを拝め!」などその人達は悪霊達にひどく言われ続けていた。彼らはうじにもいじめられていた。そして、多くの炎は酸性液体のように彼らの体を苦しめさせた。

一つの独房では、二人の男性が短剣で互いに突き刺しあっていた。彼らは相手にひどい雑言ばかりを言っていた。「憎たらしい野郎! お前のせいで俺らはここにいるんだぜ! てめえは俺に真実を隠した事で、俺は主イエスに出会えなかった! てめえのせいで俺は主を知りえなかった! 何回も機会はあったのに! でも、てめえは俺に主の事を知らせなかった! どうすんだよ! だから俺は昼も夜この場所で苦しんでいる!」
地上における二人の男性の人生を幻視で主に見せられました。二人は居酒屋にいた。すると、何か意見の衝突で彼らはケンカをし始めた。二人は酔っていて、一人は壊れたビンを取り、もう一人はナイフを出した。互いにひどく刺されるまで、二人はケンカし続けた。その結果、二人とも死んだ。この場面を、彼らは地獄で永遠に繰り返す。しかも、彼らには昔まるで兄弟のように愛し合っていた記憶が有り、彼らを更に苦しめさる。
【真の友は一人しか居ません。その名はナザレのイエスです。主は真の友です。主はいつでもあなたと共にいるたった一人の誠実な友です。】
もう一つの独房の中に、泥に転がっている女性がいた。彼女は泥だらけで髪の毛は乱雑に乱れていた。その独房の中には、大きく太い蛇もいた。蛇は女性の体を絡み付け、下半身からはじめ体中を駆け抜けていた。彼女は蛇と性交せずにいられなかった。姦淫を犯した男性と女性は、その場所で自分の罪を繰り返さなければならない。しかし、人間の相手ではなく12センチの釘を持つ蛇が相手をする。蛇が入るたびに、蛇の釘は彼女の体の中を破壊していた。「どうか蛇を止めて下さい! もう嫌です! お願いです、止めさせてください!」と激痛に耐えられい彼女は、大きい泣き声で主イエスに懇願した。
私達はいくら手で耳を塞いでも、まだ彼女の泣き声が聞こえていた。更に強く耳を塞ごうとしても、無理だった。「主よ。もう彼女の苦しい姿は見たくないし、もうこれ以上聞きたくないです! お願いします!」と私達は主に言いました。主イエスは「あなた達はこれを見なければならない。私の民は破壊している。私の民は本物の救いの道を無視している。だからあなたたちは地上の皆に、ここで見たものを伝えなければならない。」と言われました。

私たちは歩き続けて、巨大な炎の池を見かけました。その中に無数の人がいた。彼らは助けを求めるように手を振っていたが、彼らの頭の上にたくさんの悪霊が飛んでいて、その悪霊達がS字形の穂先で、池の中に燃えている人たちを痛めつけていた。しかも、その悪霊達は彼らを揶揄していた:「憎たらしい者! てめえ、サタンを褒めたたえろ! 地上にいた頃と同じようにサタンを褒めたたえろ!」正に数千人の人間がそこにいた。あまりにも恐しい景色だったため、私たちはずっと主イエスの手を握っていた。その場所で置き去りにされるのが本当に恐かったからです。そこで感じたものに、私たちはすごく怯えていました。
ちょっと先に、苦痛な顔をしている男性の姿を見た。2人の悪霊が男性の上を飛び、槍を突き刺していた。槍を抜くと、男性の肋骨が現れた。悪霊たちはずっと彼をいじめていた。そして、彼は地上にいる家族について苦痛に悩んでいる事を主に知らせた。自分の家族がその場所に来て欲しくなかったのだ。彼は家族に救いのメッセージを伝えなかった事を激しく後悔していた。家族に救いのメッセージを受ける機会があった事を思い出すのが拷問のようだった。自分が偉い人だったから、家族に救いの道を教えるのを無視した。その結果、彼は妻と子達について悩み続ける。

悪霊たちに腕を切断され、彼は燃える泥の中に溺れた。燃える炎にいるのがあまりにも辛かった為、彼はうじのように身悶えしていた。高温のせいで彼の肉は骨から落ちる。すると、彼は泥から出るために這い始めた。しかし、そうしようとする彼は悪霊達に押され、深く泥に溺れた。
数多い悪霊がそこにいた。一つの翼を失った悪霊が私の目を引いた。「主よ。何故この悪霊は一つの翼しか持ちませんか?」と私は主イエスに問いかけた。すると、主はこう答えられた:「ある目的を果たす為に、彼は地上に行った。しかし、神の一人のしもべは、彼を地獄に投げた。だから罰として、サタンは彼の一つの翼を切り取った。」即ち、クリスチャンの我々には、イエスの御名によって、悪霊と暗闇の支配者を追い出す権力と力を持っています。

【この証言を読んでいる大切な方へ。これは裁きの証言ではなく、神の御救いを語る証言です。これからは、主イエスの眼前にいる自分の状況を見分ける事が出来るでしょう。裁きを抜きにして、主イエスに救われる為に、自分の歩む道の方向を変えるのが可能です。
今、自分の心を主イエスに開き、自分は罪人だと認めれば、死後のあなたは燃える地獄ではなく神の所に行けます。これがイエスがカルヴァリの十字架に付けられた本当の理由です。
地獄にいる人の多くは、そこにいる理由を全く理解しません。彼らの人生はあまりにも多忙だった為、自分の罪について考える事をしませんでした。大切な方よ、自分の状況はどうでしょう! 嘘をつく事や窃盗をする事や独り善がりでいるのが、やってもかまわない事だと思い込まないで下さい! 神の眼前でこれは罪です! 大切な兄弟たちよ、自分の罪を悔い改め、このような事をするのを止めて下さい! あなたが罪を犯さないように、そして主の御顔を眺められるように、私はこのメッセージを送りました。】


<説明>
 主イエス様がこれらの啓示を人々に見させている理由は、次の言葉にあると思います。
主イエスは「あなた達はこれを見なければならない。私の民は破壊している。私の民は本物の救いの道を無視している。だからあなたたちは地上の皆に、ここで見たものを伝えなければならない。」と言われました。
 それは人々が全世界にかなり福音を伝えた事は事実でしょう。しかし、肝心のクリスチャンたちが、御言葉を無視したり、軽く考えたり、救いとは罪の許しだけに限定し、艱難に会わない、全員天国などの偽りの教えによって、救いを一度は得ても、すぐに堕落してしまい、御言葉から外れた行いをしてしまう。このままなら、多くの牧師も地獄行き、信徒も地獄行きになる事が明白なのに、その事に全く気付いてもいない。
 神は愛であり、哀れみに満ちておられるので、人々に罪人だと認め、罪を毎日、毎瞬間認めて、告白し、御霊によって歩む人に変えられて欲しいのだと思います。
 新契約のクリスチャンとは、御霊によって歩む事によって、肉の欲望を満たす事がなくなる事です。命の御霊の法則が、罪と死の法則から解放したからです。
ガラテヤ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるような事はありません。17 なぜなら、肉の願う事は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、その為あなた方は、自分のしたいと思う事をする事ができないのです。
18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなた方は律法の下にはいません。
ローマ8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3 肉によって無力になった為、律法にはできなくなっている事を、神はして下さいました。神はご自分の御子を、罪の為に、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされる為なのです。

10.7.15日    信仰の言葉ミニストリーズ faith_hoshino