神の第三の位各、聖霊様の顕現

聖霊様の訪れ
プレマ・ペレティエ姉妹 (Sister Prema Pelletier)

私の最初の出会い
12歳の時、私はある夢を見ました。その夢の中で私は小さな教会の裏で膝を付いてひどく泣いていました。夢の中で、私は祖母に叱られて、家を飛び出したところでした。私は通りを抜けて、この教会に駆け込みました。膝をついていると、誰かがこの部屋にいるという感じがしました。ゆっくりと頭を上げると、誰か優しそうな方が私の方に歩いて来るのが見えました。その方を見るとすぐに、私は心の中でこの方がイエス様だと分かりました。というか、そのような思いが私の心の中に「注入された」ようでした。
じっとその方を見ていると、この美しい方は私の横に来て膝をつきました。彼は一方の腕を私の肩にあて、他方の手で私の涙を拭いて下さいました。それから、彼はこう言われました。「泣かないで、私の子よ。あなたが私の名によって父に求めるものは何でも与えて下さいます。」(ヨハネ16:23) 
その後、何があったか覚えていませんが、翌朝、目が覚めると、私は、「イエス様の夢を見た。」とみんなに言いました。でも、それは何の意味もありませんでした。誰もそれに反応しなかったのです。恐らく、彼らには何も意味もなかったのです。
これが生きておられるキリストとの最初の出会いでした。それから18年後、私が救われた時に私はヨハネによる福音書の16章23節を読みました。主を賛美します。
私たちの教会の最初の礼拝が1995年11月19日の日曜日に取り行われました。それは私たちの愛する主への素晴らしい感謝と賛美と栄光の時でした。素晴らしい聖霊の臨在がそこに実際にありました。私たちの偉大な神の素晴らしさに驚き、私たちの主イエスを知るようになってなんと幸いな事だろうと私はずっと考えておりました。私はもう感謝の極みにいました。月曜が過ぎても、私は一日中、私の上にある彼の驚くべき恵みを感じていました。私の御父の愛を非常に独特な方法で感じていました。
自分が地獄から引っ張り出された事を知るなら、あなたは感謝しないわけには行きません! 寝る時間になっても、私の目はぱっちりと開いていました!私はボブ・フィリップス師のカセットを聞こうとしましたが、テープレコーダは雑音を発していました。私がベッドに横たわっていると、赤いデジタルの数字が暗がりの中で光っていて、「午前1時3分」と読めました。その次に起こった事は、私が今まで決して経験した事のない驚くべき事でした!
突然、私はトランス状態のような深い眠りに入りました。私が見て経験したものがこれです。私は、自分が居間のソファに座っているのが見えました。ソファはバルコニーに通じるドアに面していました。そのバルコニーの方から非常に荘厳な方がやって来ました。その方は聖霊なる神でした!その生ける神の霊の後ろから4フィート(1.2m)に足りない背丈の御使いが歩いて来ました。聖霊なる神が直接私の方に向かって来られました。ゆっくりと私の方に歩いて来られる彼の頭は高く保たれ、肩は突き出て、真に威厳と権威と力に満ちていました。「これは聖霊なる神!」との彼の思いが私の霊に伝わってきました。主イエスが21回以上も私に現れて下さったので、私の第一印象は聖霊が主イエスと非常によく似ておられるという事でした。まさに双子のようでした!しかし、相違にも気が付いたように思います。私に与えられた私たちの主イエスのビジョンでは、彼の髪は肩の近くまで垂れています。聖霊の髪は垂れるのではなく、力強く逆立っていました。後で彼の髪の事を考えてみましたが、それは人が電気のコンセントに指を触れた時の状態とよく似ていると思いました。
この大いなる聖霊、神格の第三の各位なるお方は大股で私に向かって歩いて来られました。そこで、私は立ち上がりました。神の御霊は私の前およそ15インチ(40cm)のところに立たれました。私は聖霊なる神の非常に鋭く、深く、厳粛、穏やかな、また非常に聖なる目をじっと見つめました。私は永遠を見詰めている感じがしました!その瞬間、気が付くと、私は自分の立っているカーペットを見下ろしていました。私は荘厳なる畏敬の念ゆえに聖霊の臨在に震えました。主の聖なる驚くべき方が私の前に立たれたので、私は両手の平を上にして彼の前に伸ばして言いました。「イエス様がいつも私を守って下さるように祈って下さいませんか?」 私がこう言いますと、神の聖霊はご自分両手の平を私の手の平の上に置かれました。私は電気が全身に流れた感じがしました。
次に、神の聖霊は、目は私の魂の中をじっと覗きこみながら、ご自分の手のひらをあてて、一回に一度づつ、私の手のひらをこすり始められました。彼は両手の平を交互にゆっくりと私の手のひら全体をこすられました。その間、私の目は彼の両手を見つめていました。主の聖霊は8回くらい私の手のひらをこすられたと思います。彼がそうしておられると、驚いた事に、彼の手のひらの真ん中から油が湧き出してきたのです!聖霊の手のひらから流れ出た油は熱かったのですが、耐えられないほどではありませんでした。私の手のひらから溢れ出た油は私の手の甲にまわりました。主の前に立ちながら、気が付くと、私は油に濡れた両手をもんでいました。その間、油は溢れてカーペットに垂れ落ちていました。また、気が付くと、私はこんなことを言っていました。「この手を病人にあてると、病人は癒される。」 そんな事があってから、聖霊なる神と御使いの二人は向きを変えて、今来た道を戻って行かれました。
私の目が開きました。先ず気付いたのは、時計の時間でした。「午前1時17分」でした。私の聖なる経験の前後の時間を見るように、神様が手配して下さっていたのだと思います。忘れる事のできない14分間、私は聖霊なる神の臨在の中にいたのです。私は眠っている夫をそっと突くために肘(ひじ)を上げる事もできませんでした。私は何度も何度もやってみた後で、どもりどもり言いました。「わ、わ、私、聖霊を見たわ、永遠を見たわ!」 私は動転してしまって殆ど話すことができませんでした。
2、3日してから、カセットテープを回しました。前は雑音がしてよく聞き取れなかったものですが、今度はきれいな音がしました。それはタイムリーなメッセージでした。ボブ・フィリップス牧師が聖霊について語っておられました。メッセージの最後の段でした。「信じる者はその腹から生ける水が川々となって流れ出る!!!」
人々は、私が聖霊に出会った事がどのようにして分かったの、と尋ねました。或る人は、聖霊は霊だから見る事はできないと言います。私の答えは、私たちが天国とか地獄を信じるか否かに関係なく、彼らは存在しておられるという事です。さらに、私が12の時、まだヒンズー教徒の子供であった時に、私たちの主イエスのビジョンを見た時に、「この方がイエスです。」という思いが私の心の中に伝えられたのです。当時は私はイエス様のことは知りもしない時期でした。
最近、私はグエン・ショー(Dr. Gwen Shaw)博士(終末におけるしもめミニストリーEnd-Time Handmaidens and Servants Ministry、www.eth-s.orgの代表)にお会いしました。これで彼女に会うのは2度目でした。彼女は主の軍隊の司令官である美しくて油注がれ尊敬されている聖書教師であり、終末・・の代表は私の経験についての洞察を交わってくれました。彼女と夫のジム氏と共に昼食を一緒にするグループの集まりでの事でした。グエン姉妹は正しく指摘されました。「主は生まれながらの目から覆いを取り除く事がおできになります。そして、彼がお選びになった人に対して超自然の事柄を見るのを許して下さいます。彼は主権者です!天においては、聖徒たちは全て霊の形で存在しています。しかし、各々は識別が可能です。」
それで、愛する人たち、あなたには私の聖霊体験がどうしても信じられないと思われても、それは現実に起きた事なのです。私の素晴らしい主から与えられた通りに、私は単純に私自身の経験を交わっているのです!
私の経験を補強してくれる聖書の箇所を主に尋ね求めました。主はローマ人8:26-27を与えて下さいました。「 御霊もまた同じように、弱い私を助けて下さる。なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私たちの為にとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところが何であるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」
旅は続きます…
聖霊の素晴らしい訪問があって以来、多くの事が起こり続けています。私たちの主イエスの栄光の為に人々は癒され、そして尚、癒され続けています。
私の頭に下る聖霊の黄金の油を、私は日常的に経験しています。私はこの出来事を肉体的な感覚として感じています。詩篇23: 5では「 あなたは私の敵の前で、私の前に宴を設け、私のこうべに油を注がれる。私の杯は溢れます。」また、詩篇89:20もご覧下さい。(訳注:私はわがしもべダビデを得て、これにわが聖なる油をそそいだ。)
主と交っている間、そして、主への祈りの時、全能の神の陰が私の上に下ります。彼が来られる時と彼の陰が下る時は分かります。私の目が開いているか閉じているかは関係ありません。昼間であるか夜間であるかも関係ありません。詩篇91:1「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は(主に言うであろう、)」
何度も霊の外套が私の肩に投げ掛けられました。誰か私の後ろに立っている人が私の肩に外套を投げ掛けるようです。そのだれかは分かっています!主を賛美します。
朝の早い時刻に、私は生ける神の御霊の聖なる風によって目を覚まします。その聖霊の風は私の耳に、通常私の左耳に吹き込んできます。イザヤ50:4「主なる神は・・・・・、また朝ごとにさまし、私の耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる。」
時々、私の上に下る聖霊の雨と露を経験することがあります。時にはそれは冷たく、また、時には、液体の火のようなことがあります。露が下るとき、雨に例えられるような光の小粒のようです。イザヤ44:3「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。」
私の指先がみな腫(は)れ上がりました。私たちの教会の家族はそれを「火傷の水ぶくれ」と呼びます。私たちの主イエス聖霊の油注ぎについて私が話すとき、その腫れが最も顕著になります。私のすべての指の火傷の水ぶくれは実際に目に見えるのです。私は主にこれはどういう意味ですかと尋ねました。私の手に跡を残したのだ、と私の心に語られました。すべての栄光と誉れと賛美と威光とが私たちの素敵な主イエスにありますように。私はご自身を高く掲げます。
神が器に油注ぎをなさる時、それは奉仕の為です。私はこの素晴らしい特権ゆえに、主に感謝します。彼はご自身に奉仕する為に一人ひとりにそれを与えて下さっています。
2、3年前の事です。私たちの家庭医が例年の健康診断の一部として心電図を取る事にしました。私がベッドに横たわると、看護師が私に壁に触れないでくださいと言いました。ベッドに横たわっている間、主の油注ぎがやって来ていました。私は聖霊の油が頭に流れ落ちるのを肌で感じる事ができました。看護師がグラフの針を視ていると、針が上下に異常なジャンプをしました。彼女は幾分いらいらしながら言いました。「壁に触れないように言っておいたでしょう!」「壁に触れてはいませんよ。」と私は答えました。心電図を取り終わると、私に起こった事を彼女に説明して、まだ腫れている指先を示しました。彼女はびっくりしてしまいました。
私の上に油注ぎが多い場合には、文字通りその音が聞こえます。それは丁度よく乾燥した燃え木が勢いよく燃える時の音に似ています。ぱちぱちと音がします。それが聖なる霊と火の油注ぎです!主を賛美します!
神は今の時の為にこの器を準備しておられると私は信じています。全ての栄光、誉れ、賛美、そして、全ての威光を彼にお捧げします。起こっている事が全てを理解出来ているわけではありませんが、それが神からである事は分かっています。ですから、私の心は安息しています。私の存在の全てを以て、私は主を愛しています。生ける神なる父、御子、聖霊に栄光がありますように!イエスは主です。アーメン。

主からプレマ牧師に与えられた夢とビジョン
私が最初に主に出会ったのが、わずか12歳の時でした。この美しいお方が私のところに来て下さり、私のそばに膝をついて優しく私の涙を拭き取って語って下さいました。その他の私の証しはwww.rlwc.caでお読み頂けます。親愛なる読者の皆さん、神様が私に下さった夢とビジョンによって祝福を受けて下さいますように。すべては私たちの愛する主イエスの栄光のためです。

神が定めて下さった私の夫
私が夫に会う8年前の1986年に、主は夢の中で彼を見せて下さいました。私たちはともにスリランカにいました。彼は御言葉を宣べ伝えていました。私は聖書を空中高く掲(かか)げて立っていました。私たちは1994年に出会い、それから7週間後に結婚しました。今日、私たち二人は神の栄光のために福音を伝えています。

キリストの苦悩
ある夜、空に何千人もの御使いたちが輪になって絡み合っているのを見ました。その中央に主イエスがおられました。主は十字架に釘付けにされていました。彼はまだ生きておられました。私は彼を側面から見ました。彼の脚は苦痛でガタガタと揺れていました。御使いたちはそれを見ていました。
主がご自分の貴い血について語られる。
ある夜、夢の中で主が現れました。私たちが歩いているときに、私は、主が私のために十字架上で死んでくださったことをとても感謝していますと主に言いました。私は、ご自身の最も貴い血を私と世のために流して下さったことを、彼に感謝しました。彼は答えて言われました。「そうです、それは7,000羽の鶏の血ではありませんでした。それは私の血でした。私の貴い血でした。」 他に言葉を交わさずに私たちは歩きました。そして、主は立ち止まって言われました。「毎朝、ここで私に会ってください。」 それは午前2時30分頃のことでした。

車にガソリンを入れるのを手伝ってくれた御使い。
ある晩のことです。私は教会に行く途中、ガソリンスタンドから数街区ばかりの所で車のガソリンが切れてしまいました。いつもなら、少なくともタンクに半分は入れておくのですが、最近、車を殆ど使用していず、教会へ行く途中で満タンにしようと考えていました。サンジェイは当時まだ9歳でした。私は息子を車に残してガソリンスタンドまで歩き始めました。静かに祈りました。「主よ、あなたの助けが必要です。私は車にガソリンを入れる方法を知りません。」(今は知っています。) 突然、小脇にブリーフケースを抱えた男性が私の行く道を横切りました。私は彼の助けを求めました。彼はとても親切で手伝ってくれました。私は彼の親切に感謝しつつ彼を教会に招待しました。私は彼に「新しく生まれておられますか。」と尋ねました。彼は言いました。「私の父がいます。」 彼の職業は何か分かりませんでした。彼は保険業界にいます、と言いました。私たちは車のところにやって来ました。彼はサンジェイの手を握りました。彼は私の車にガソリンを入れるのを助けてくれました。私が運転席に座ったとき、彼は車の外で愛想よく立っていました。私がシートベルトを引こうと頭をわずかばかり動かしました。そして、後ろを振り向いた時、彼はいませんでした!主が御使いを遣わして私がガソリンを満タンにするのを助けてくれたのでした!私が嬉しくて歓声を上げるのを終えて落ち着いたとき、主は私の出会いについて解説して下さいました。御使いたちは「新生はできません。」彼らは創造された者たちです。また、御使いたちは神に遣わされて、神の民が保護されるのを保障(訳注:保険)します(詩篇91)。彼らは私たちの保険外交員です!栄光!私たちが教会に向けて車を走らせている時、彼は車の上に乗って楽しい時を持っていたことが分かりました!

御使いユダ
ある夜のことです。あるビジョンの中で、私はベッドの足下あたりに御使いがいるのを見ました。その御使いは非常に背が高くてブロンドの髪で青い目をしていました。彼は上機嫌でした。私はとても安らかなで幸福だなあ感じました。私は彼に「あなたの名前は何?」と尋ねました。彼は、「私の名前はユダです。」と答えました。ユダはヘブル語で賛美という意です。私は全身で主を賛美するのが好きですから、主が賛美の御使いを私に遣わして下さったのだと信じています。

黄金のレンガ、果物の房、神の言葉
ある夜、あるビジョンの中で、午後10時から午前4時まで私は御使いと一緒に歩きました。私たちは歩きながら思いを通して交わりました。彼は私の思いと質問のすべてを知っていました。私も彼の思いによる答えが分かりました。私たちは、金持ちで意地の悪い人たちの家のそばを通りました。私は信じて間もないクリスチャンでしたので、意地の悪い人がどうすればお金持ちになれるのと尋ねました。御使いはドアも窓もないコンクリートの部屋のところまで私を連れて行きました。彼が手に持っている杖で壁を打ちました。すると、入り口ができて、私たちは中に入りました。彼は部屋の隅に行って、再び杖で壁を打ちました。すると、壁から金のレンガがとび出して来ました。彼はそれを手に取って私に渡しました。私は頭を振って「要りません」と言いました。彼は部屋の隅に戻って再び壁を打ちました。すると、まだ蔓(つる)の付いたとても大きな果物の房が出て来ました。彼はそれを私に渡しました。今度は、私は喜んでそれを受け取りました。私がその蔓を抱えると両手は果物でいっぱいになりました。私はそれを食べられるだけ沢山食べました。私のおなかは果物でいっぱいになりました。それから、私は外に出て果物の残りを通り過ぎる人たちみんなに上げました。
その後間もなくして、主はこのビジョンの解釈をして下さいました。私は、主の富を追い求めるために、世とその富を拒否することを選んだのでした。私は神の言葉を食べて、次に、神の言葉を他の人たちに分け与えました。私は自分の選択を後悔したことはありません!栄光!神は祝福を増し加えて下さっています!

徹夜祈祷会での主イエス・キリストの二つのビジョン
ある夜、いつものように私たちは二人の友人と一緒に徹夜の祈りをしていました。午前2時20分、私の頭蓋骨の中に非常に熱い油が注ぎ込まれているのを感じました。その時、十字架に釘付けられた主イエスが現れました。彼は腰布を付けておられました。顎(あご)はだらりと垂れていました。この私の主のビジョンを見たとき、涙で私の目が痛みました。突然、私は自分の身体から抜け出していることに気が付きました。私の身体は半分ひざまずき、半分座っていました。私の霊は立っていました。見る間にビジョンは消え去り、私の霊は身体に戻りました。主が再び私の前に現れました。そのキリストが今度は光り輝く王の衣を身につけておられました!彼は高く上げられ、彼の衣の裾が宮いっぱいに満ちていました!この流れるような衣は水色でした。彼は祭壇域のおよそ2フィート上方におられました。私は恥じらいながら主を見ました。なんと素晴らしいことでしょう!私の主は両手を力強く私の方に伸ばして、恰も、私の子よ、こちらにおいでなさい!と言っておられるようでした。その瞬間、私は彼の素晴らしい目を見ました。それは青と緑色の混ざった美しい目でした。その目が私を彼の方に引き寄せました。私に記述できるのは、ただ、その流れ下る愛の川のような我が主の目が私をご自身の方に引き寄せることだけです。そして、彼のほほ笑み!おお、その微笑みよ。「完全に麗しい」と言っても控えめな言い方です!髪は薄茶色で肩まで垂れ、たくさんのカールがあります。彼の微笑が常に私の前にあります。ビジョンは消え去りましたが、その夜見たご自身のことを私はいつも思い出します。
私の上にそんな油注ぎが来ると、私は1トンの重荷でも持ち上げることができるような気がしました。私は叫びました。「私は主を見ました!主を見ました!」 午前4時半頃のことでした。私はドリス姉妹とローザ姉妹と一緒にタンバリンを持って教会の聖所の周りを何度も行進して回りました。私たちは歌いました。「私は主を見た、主を見た。彼は高く上げられ、衣の裾は宮に満ちている!…」すべての栄光が神にあれ!

聖霊の鳩
ある朝、私は聖霊の鳩を見ました。彼は丸い時計の枠のような円形の枠に座っておられました。彼は一心に私を見つめておられました。

火によって答える神
ある日、私は燃える火のような者が私たちのアパートに立っているのが見えました。私は怖くなってそのビジョンを叱りました。台所に行くと、驚いたことに、そこに彼がいました。今度は平和が私の魂に溢れました。このお方は火によって答える神でした。
以上は私が霊の領域で出会ったわずかばかりの実例です。主を賛美します!神があなたを祝福して下さいますように!
    真理の言葉ミニストリー  faith_hoshino