人はなぜ救われなければならないか

  人はなぜ救われなければならないか?
   人はなぜ生まれ変わりをしなければならないか? 
 人はなぜ神様を信じて生きなければならないか? 

1.人の状態は本質的にあまりにも悪くなってしまっている。
 人は、最初の人アダムの罪によって、全人類が罪人となってしまった。
ローマ人への手紙5:12 丁度、一人の人(アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入
 り、こうして死が全人類に広がった…全人類が罪を犯したからです。
エペソ人への手紙2:1 あなた方は自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、…自分の肉の 欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、…生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

<人の現状>
 人類の先祖アダムが神様の戒めを破り悪魔の言う事に従ってしまった罪によって悪魔の性質である罪の性質が入り、人は罪の性質を持って生まれてくるようになってしまった。その罪によって、全人類に死が入ってきて、人は死ぬようになってしまった。
 人は生まれた時、すでに罪人として生まれ、罪の欲望に支配されて生きるようになった。例えば、怒り、憎しみ、妬み、ののしり、情欲など悪い事と分っていても、罪を犯す。
ローマ人への手紙3:10〜18…義人はいない、一人もいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。…善を行なう人はいない。一人もいない。…彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、呪いと苦さで満ちている。…彼らの道には破壊と悲惨がある。
人はだれも良い事、善行をしようと思っています。しかし、人の心の中には罪が宿っています。 ですから、人は気にいらない事について怒り、人をののしり、呪います。他人が祝福されると妬み、批判し、こき下ろします。お金の欲、名誉欲、支配欲、食欲、情欲などに縛られている人もいます。神様は聖なる方、義なる方ですから、人が罪を持った状態のまま恵みを与える事をされません。
<神の救い>
 イエス様はこの罪を背負って十字架で人の身代わりに死んで下さいました。この罪の身代わりの十字架の死と復活を信じる事で人は罪の刑罰から救われる事が出来ます。
人はみな死にますが、罪の報酬として死が人類に広がって来たのです。イエス様を信じ受け入れるなら、永遠の命が与えられ、肉体は死んでも、霊と魂は天国に行く事が出来ます。最後まで耐え忍ぶ事が必要です。
人の霊が死んでしまった。 (人は霊と魂(心理学的には精神)、と体がある)
創世記2:17 善悪の知識の木から…取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。
ヤコブ2:26 霊(ニューマ)を離れた体が、死んだものである。   
エペソ2:1 あなた方は自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって
<人の現状>
 聖書は神様からの分離を死と呼び、霊が神様との交わりから離れ、分離している事が死んでいると言います。人は最初の人アダムが善悪の知識の実から取って食べたので、霊が死にました。ですから人は霊がみな死んで生まれて来るのです。霊が死ぬ事によって、魂が腐敗し、身体は肉欲の固まりとなってしまい。人は死ぬようになった。
神は霊ですから、人には霊である神様が全く分らなくなってしまいました。霊が死ぬと神様と霊で交われなくなり、神の存在が分らなくなってしまいました。
ローマ1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき、人間や、鳥、獣、はうものの形に似た物へと代えてしまいました。(人が偶像を造り始めた。)
人は霊が死んで神様が分らなくなり、神様ではない偶像を神として拝むようになってしまった。
宗教をつくりそれによって自分の霊の渇きを満たそうとごまかすようになってしまった。

<まとめ>
 全人類の初めの人アダムの罪によって、人は生まれつき罪を犯す者として生まれるようになり、人は善を行なおうと思っても行なえず、悪を行なってしまう。人の行なう事は罪を犯す事となってしまった。罪の支配に負けてしまう所から救われなければならない。
アダムの罪によって、人の霊は死んでしまい、霊はあってもその機能を失いました。人の罪によって、人の霊の中の神に対する三つの機能、鋭敏な直覚、神との交わり、良心の機能が腐敗してしまい、霊的な領域に対して死んでしまいました。神は霊であるので、神の存在までが分からなくなってしまった。霊が死んだ人は神の声を聞いたり、神様を感じたり、神様の御心が全く分からなくなってしまったのです。暗闇の支配の中に入ってしまったので救われなければならない。悪魔の支配から救われなければならない。
キリスト教は宗教では無い>
 このようにキリスト教は宗教ではなく、全人類共通の本質的問題である罪、呪い(病気、貧乏、死)、の解決を神様が行なって下さった。それがキリストの十字架の救いなのです。
 キリストは私達人の罪、病気の呪い、貧乏の呪い、死の呪いを背負って身代わりに十字架に架かって死んで下さったのです。それを信じる者はそれらから救われるのです。
<救いの意味は>
 救いのギリシャ語はソーソーで、意味は、解放、安全、保護、癒し、健康です。
 イエス様を信じて救われるなら、霊の死から解放され、罪の刑罰から解放され、罪の支配から解放され、病気から解放され、貧乏の呪いから解放され、死の呪いから解放され、悪魔の支配から解放され、神様の保護、安全の中に入れられ、癒しを肉体と精神に受け、健康な人生を送る事ができると聖書は言っています。 (これが全福音、フルゴスペルです。)
※ただし、福音は契約ですので、契約条件を満たす事で契約の恩恵、恵みを受ける事ができます。その条件とはただ信じるだけです。