天国に行く? 地獄に行く?

天国に行くか? 地獄に行くか?
     
1.人は死んだら天国には行けず、全員地獄行き
 人は何の為に生きているのか? 死んだらどこに行くのか? この答えは、このプロクに多くの天国と地獄の啓示を世界中の人たちが見て報告している通りです。さらに実に多くの臨死体験者も同じく、死んで天国の入り口、あるいは地獄の入り口に行って、戻って来た人たちの体験があります。
 私の友人がエターナル・ライフ・ミニストリーズと言うホームページを通して、それらの記録を公開し、本にして売っています。
 実に多くの人たちは死後の事など死んでみなければ誰にも分らないといいます。しかし、全世界の実に多くの人たちが生きたまま、特別に天国と地獄について神様が人類に啓示されているのです。
 人がなぜ生きているのか? 人は何の目的で創造されたのか? それらの事は神の言葉である聖書に書かれています。断っておきますが、私はキリスト教と言う宗教のお話しを書くつもりはありません。私は宗教は大嫌いです。
 私は神の存在の現実について、人の生きている目的について、人の創造された目的について、人が死後どこに行くのか、などの現実について書いているのです。私たちがなぜ生きるのかは宗教の問題ではなく、現実の問題なのです。人が死後どこに行くかは現実の問題なのです。
 まず、人がなぜ創造されたのかを神の言葉である聖書から!
聖書創世記1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼 らを創造された。28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を 満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはう全ての生き物を支配せよ。」29 ついで神は仰せられた。 「見よ。私は、全地の上にあって、種を持つ全ての草と、種を持って実を結ぶ全ての木をあなた方に与えた。 それがあなた方の食物となる。30 また、地の全ての獣、空の全ての鳥、地を這う全ての者で、いのちの息の ある者の為に、食物として、全ての緑の草を与える。」すると、そのようになった。31 そのようにして神は お造りになった全てのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。
聖書イザヤ書43:7私(神)の名で呼ばれる全ての者は、私(神)の栄光の為に、私(神)がこれを創造し、これを形 造り、これを造った。
 これらの御言葉によれば、神は全ての物の創造主であり、人は地球における神のような存在として、地の支配者として創造された事が書かれています。
人は偶然の積み重ねでは出来ません。ゴミをばら撒いて、人間が形造られる確立は無限大にないと思います。ダーウィンの進化論は彼自身が神を信じる者となり、反省しているものに過ぎません。人も宇宙も神によって創造されたものなのです。
その通りに人々は地においては、果物、野菜などを栽培し、海からは魚介類を摂り、川を造り、池に水を貯め、地上の支配者として生き続けています。
 しかし、人々は自分たちの快楽を求め続け、地球環境を破壊してしまったようにも思えます。
 さらに聖書の言葉は、「私(神)の栄光の為に、私(神)がこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と書かれています。
 人の創造主は全能なる神であって、創造者に似せて造られました。ですから人は本来神の栄光を現して生きるのが人生の生きる意味であり、目的であると聖書は言っているのです。
 神は聖で、神は愛で、神は義で、神は公正です、などが聖書に書かれていてつまり人はこの性質を与えられて生きています。人は腐敗を望む人はいません。政治の腐敗についてマスコミも人々も怒り、批判をしているのは、人の聖なる性質が神から与えられたからに他なりません。人の生き方の中で最も尊いのは愛によって生きる事です。テレビでも愛は地球を救うとか言う番組があるのは、人が神の愛によって創造されている証拠と言えるでしょう。

2.人はその行いに応じて裁かれる
 ただ重要な問題は人はただ生きていれば良いのではなく、その行いに応じて神が人を裁かれる事です。
ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬ事と死後に裁きを受ける事が定まっているように、
Ⅱテサロニケ1:7 苦しめられているあなた方には、私たちと共に、報いとして安息を与えて下さる事は、神にとって正しい事なのです。その事は、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われる時に起こります。8 その時主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
 神の御言葉である聖書はキリストが2千年前に人々の罪を背負い十字架の死刑に掛かられる為に地上に人となって来られた事は歴史上の事実であるだけでなく、この世の終わりには再び来られる事が予言されています。
 勿論、これをキリスト教と言う宗教にしてしまっている人たちも実に多くいます。しかし、宗教では人は生きる事も救われる事も出来ません。
 これを現実として信じる者だけが救いを得る事が出来ます。この再び来られる事を再臨と言い、再臨においては人の行いに応じて、全員裁かれる事が定まっています。
 特に大問題なのは、「8 その時主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」
 この再臨の時、または人が死んだ時、その人の人生で考えた事、告白した事、行動した事の全てについて神の前に申し開きしなければなりません。
 なぜなら、神は地を支配せよと仰せられ、人は創造され、さらに神の栄光を表しなさいと仰せられました。
 つまり、これを読んでいる全ての人の考えた事、告白した事、行った事、行き続けた全ての最終試験が死んだ時か、再臨の時に行われるのです。
 勿論、私は常に愛だけで生き続けました。怒りもなく、憎しみもなく、罵りもなく、妬みもなく、ただ人々を愛する事だけに一生かけ続けましたと言われるのなら、神の前に立っても大丈夫で、天国に行けるかも知れません。
しかし、お金を愛し、名誉を愛し、自己を愛し、情欲を愛した者にとっては死後の裁きは地獄の裁きとなり、現実に神の怒りが留まり、全天国の人々にあなたの考えた事、告白した事、行った事が映像として映し出されると、ある天国と地獄を見て来た人たちが言っています。
 結論は人はあまりにも悪過ぎるようになり、全員地獄に行く事になると言う事なのです。
 ここでおしまいなら、このプログはおしまいで何の意味もなく、人々を恐怖に陥れただけなります。しかし、神は聖、義であるだけではなく、愛でもあります。救い、逃れの道、地獄に落ちるのを逃れる事が出来ます。
 言っておきますが、私はクリスチャンだから天国に行くは通用しません。なぜなら、実に多くの牧師と信者たちが地獄に落ちている通りだからです。
 つまり宗教としてのキリスト教には救いはありません。形式、儀式を毎週日曜日に礼拝をしているのでは天国に行ける補償にはなりません。
 そんな事キリスト教の教理に反していると言われるでしょう。教理によって、言い伝えの伝言ゲームによっては神の裁きは行われません。
 実に裁きは新契約によって行われます。日本人は契約が全く分りませんので、曖昧によって私は大丈夫だろうと思い込んでいますが、御言葉は契約の文ですから、御言葉の契約を履行したのが契約の祝福の条件です。
 
<結論>
 神の怒り、人々の考えの悪さ、告白の悪さ、行いの悪さの刑罰としての地獄からまぬがけれる第一の条件は福音を信じて救われる事です。
 非常に単純で簡単なのです。どこかの会員になっても無理、どこかの教会に言っても無理、ただ一つ、主イエス様は私の怒り、妬み、情欲、金欲、この世を愛する欲、など全ての罪を背負って十字架の死刑となられた事を私は信じます。そして復活された事を私は信じます。ですから私の罪の全ては許されたと信じます。私は主イエス様の十字架に贖いによって神の義とされた事を信じます。これからはイエス様を主として生きて生きます。
 実にこの事を声を出して心から読んでいただければ、この瞬間、福音を信じて救われました。信じ続けるなら、死んだとしても、神の前に出ても、罪を指摘される事はありません。ただ罪を犯したなら、天の父の前に罪を告白して常に許しを得続けなければなりません。告白していない罪についてまで許されるとは聖書は言っていません。信仰を保ち続けるなら天国に入れます。
 私はキリスト教と言う宗教の宣伝も加わって欲しいのでもなく、ただ人がなぜ生きるのか、人は死後裁きを受けると言う事を知ってもらいたいだけです。このプロクには天国の現実と地獄の現実が多く書かれています。今までのキリスと教とは少し異なりますが、聖書の御言葉とは一致しています。
 10.9.16日    
         信仰の言葉ミニストリーズ faith_hoshino