私の人生における聖霊様の務め

     私の人生における聖霊の務め Ⅰ
ある伝道者の証し
(原題)私の人生における聖霊の務め
(Ministry of the Holy Spirit in My Life)ポール・ガバネク(スロバキア)(Paul Gabanek)25 Toryska, 821 07 Bratislava, Slovakia (Europe)Bratislava 2004 (spiritlessons.com掲載の英文を邦訳)
<目 次>
序論
日常生活における聖霊の務め
御使いとの初めての出会い。イエスに従うようにとの神の召し
聖霊を受ける。聖霊の中にバプテスマされる
福音の務めの始まり
聖霊による神の助けといくつかの奇跡
主が私たちの祈りを聞いて雨を降らせて下さったこと
いくつかの癒しの奇跡
困難な状況における驚くべき助け
神はご自分の子供たちの必要を顧みて下さる
十字架の道における聖霊の務め
迫害の時期の経験
獄中の経験

<序 論>
霊的な生活において聖霊の務めは非常に重要です。コリント人への第二の手紙第3章6-12節ではパウロは二つの務めについて書いています。第一に、旧約の時代における「文字の務め」、第二に新約時代の「霊の務め」です。そして、聖霊の務めは栄光あるものとも言っています。
 世界中になぜ多くの異なった宗教があるのでしょうか? また、世界中になぜ多くの異なった教会があるのでしょうか? なぜ多くの異なった教えがあり、なぜ多くの異なった信条などがあるのでしょうか?この問題はただ一つの真実の答えによって解く事ができます。その答えはこうです。人々が神の戒め(God's commandments)とイエス・キリストの命令(orders)に従わない事です!   ☆アーメン!実にその通りで、聖霊様に聞かない。 
これは初めからそうであったわけではありません。 神の言葉は唯一の命の光です。特に霊的な生活においてそうです。使徒たちは3年半の間イエスと共に生活をしました。彼らは完璧な神学的教育を受けていたと私は確信します。即ちご自身が彼らに教え、彼らは彼の奇跡を見ました。しかし、それは彼らが福音を宣べ伝えるという将来の務めには十分ではありませんでした。
エスは彼らに命じました。「エルサレムから離れないで、かねて私から聞いていた父の約束を待っているがよい。」 (使徒1: 4) そして、その後で、 「ただ、聖霊があなた方に下る時、あなた方は力(ドュナミス)を受けて、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(使徒1: 8) この命令は弟子たちに与えられただけではなく、全ての信者たちに与えられました。なぜなら、こうあるからです。「この約束は、われらの主なる神の召しに預かる全ての者、即ちあなた方と、あなた方の子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである。」 (使徒2: 39)
「父の約束を待っているがよい。」という命令、即ち、聖霊によるバプテスマを待っているようにとの命令はイエス・キリストの福音を告げ広めようと願っている者たちにとっては最も重大なメッセージです。イエス使徒たちに「けれども真理の御霊が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう。」 (ヨハネ16:13) と言われたゆえに、全ての信者にとって、これは最も重要な事です。 しかし、私たちが聖霊を受けなければ、彼はどのようにして私たちを真理へと導く事ができるでしょうか?それは不可能です。 現在、それがキリスト教の最大の問題です。1,000種類以上ものキリスト教信者とキリスト教の教えがあるからです。使徒たちの時代には三つのタイプのクリスチャンがいました。
(1) イエスの命令に従った強い信者たち。彼らは悔い改め、バプテスマされ、聖霊の賜物を受けました。 (使徒2: 37-39)
(2) サマリアの弟子たち。彼らはイエスを信じて水の中にバプテスマされましたが、誰も聖霊の約束(訳注:使徒8:16)を受けていませんでした。そこで、使徒たちがエルサレムからサマリアにやって来て、「彼らの為に祈った。それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ誰にも下っていなかったからである。そこで、二人が手を彼らの上に置いた所、彼らは聖霊を受けた。」 (使徒8:15-17)
(3) エペソの弟子たち。 使徒パウロは彼らに「あなた方は、信仰に入った時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがある事さえ、聞いた事がありません」と答えました。(使徒19:1-6) しかし、その後彼らはみなが福音の豊満を受けました。その主たる結果はこうでした。 即ち彼らは皆、一つの教えを教え、同じ福音を説き始めた事です。ですから、当時、「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして」いました。これは聖霊の働きでした。彼らは自分の持ち物を分け合い、貧しい者はひとりもいませんでした。そして、彼らは非常に力強く証しをし、偉大な恵みが彼らの上に注がれました。(使徒4: 32-34)
しかし、今日、イエスの足跡を辿ろうと思うクリスチャンは殆どいません。ですから、非常に多くの異なる教えと信者たちのグループがあるのです。なぜなら、彼らは聖霊バプテスマを受けた事がないからです。多くのクリスチャンはイエスがこう言われた事を忘れています。「 しかし、私は本当の事をあなた方に言うが、私が去って行く事は、あなた方の益になるのだ。私が去って行かなければ、あなた方のところに助け主(聖霊)は来ない。もし行けば、それをあなた方に遣わそう。」(ヨハネ16:7)!この助け主の役割はキリスト教会の中で非常に大きいのです。彼が今日の教会建造の主たる建築者です。なぜなら、彼が地上でイエス・キリストの働きをなさるからです。私たちはイエスなしには何もできません。彼がそう言っておられます(ヨハネ15:5)。聖霊についても同じです。なぜなら、彼だけがイエスの代表であるからです。誰も彼の代わりになる事はできません。これは非常に重要です。 最も優れた神学校でも聖霊なるパースンの代理はできません。
☆今日最も愚かな人たちは聖霊様に聞く事が出来ず、神学校に聞く人。

日常生活における聖霊の務め
私は1932年2月19日スロバキアの首都ブラチスラバで生まれました。父はプーショウ(Puchov)出身、母はハンガリーの首都ブダペストの出身でした。両親は信者であり、教会に通いました。私たちが神を畏れる事と神を礼拝する事を教えてくれました。彼らはブラチスラバに住んでいましたが、キットゼーの教会とオーストリアのウィーンの教会に出席しました。 (写真1:母、写真2:父、写真3: 1歳半の時の著者、写真4: 50歳の著者、写真5: キットゼー村での最初のペンテコステ派の集会)
私の両親は彼らの子供の為に熱心に祈りました。母は第二次世界大戦中に亡くなりました。母の祈りが神の御座に届いたと私は信じています。神が彼の聖霊によって私に語って下さいました。 私は自分が罪人である事を示されました。神は私を恵んで下さり、私は悔い改めました。これは神が私に与えて下さった最大の恵みでした。私が未信者であった時はよく病気をして、わびしい生活を送っていましたが、神に転じるや、私の生活は完全に変わってしまいました。イエスヨハネ10:10で約束して下さっている通りです。「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりする為にほかならない。私が来たのは、羊に命を得させ、豊かに得させる為である。」神に戻るという事は正常な生活に戻るという事です。私が悔い改めてからというもの、私の性格が変化しました。そして、私は新しい命を生きる事を開始したのです。
私は御使いたちが天国で大喜びしたのを感じました。かつて、私は心の中でこんな喜びを感じた事は一度もありませんでした。私の周りの世界、即ち、人々、友人たち、自然、なにもかもが変化したように思えました。 その時、私の中に本当の変化が起こった事は分かりませんでした。聖書は言います。 「心の清い人たちは、幸いである、彼らが神を見るからである。」 (マタイ5:8) 私たちは既にここ地球上で神を見る事ができるのです。「全ての人と相和し、また、自ら清くなるように努めなさい。清くならなければ、誰も主を見る事はできない。」(ヘブル12:14) 天国に入る事は地上で生きている間に生じなければなりません。 イエスは言われました。 「よくよくあなた方に言っておく。私の言葉を聞いて、私をつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれる事がなく、死から命に移っているのである。」 (ヨハネ5:24) ほとんどの信者たちは天国に入る事は死後に起こると考えています。 そうではありません、それは現在、私たちが新しく生まれた時、私たちの生活の中でスタートするのでなければなりません。イエスがニコデモに言われた通りです。「よくよくあなたに言っておく。誰でも、水と霊とから生れなければ、神の国には入る事はできない。」 " (ヨハネ3:5)

御使いとの初めての出会い。イエスに従うようにとの神の召し
それは1948年に起こりました。 一度、私は夜中に目覚めました。 私の部屋は真っ暗でした。突然、そこに強い光が差しました。主の御使いが私の寝室に現れたのです。それで部屋が非常に明るくなりました。御使いは私のベッドの側に立ちました。その顔は輝いていました。目は火のようであり、衣は雪のように真っ白でした。私は彼を見ることができませんでした。 聖なる恐れが私を襲いました。彼が言いました。「来なさい、そして、イエスに従いなさい。そして、彼の証し人となりなさい… 生涯、私はあなたと共にいます。」 私が祈り始めると、御使いは姿を消して、寝室は再び暗くなりました。 私はその時、眠る事ができませんでした。私はまだ神の聖なる存在を感じていました。 私は朝まで祈りました。 部屋は神聖さに満ちていました。壁や椅子や窓さえもが神の臨在の為に非常に特別に見えました。以前、私はそのような現れに出会った事はありませんでした。 御使いの話は作り話ではないとわかりました。 私は驚いてしまいました。 (写真8〜11: 私たちの最初の集会の家、写真9:聖なる御使いが現れた部屋)

御使いが2度目に私に現れたのはシトノ山の森の中でした。 夜中、私が道に迷って森の中を歩き回っている時でした。御使いが私を助けて森から導き出してくれました。私はひざまずいて、神に栄光と感謝を捧げました。
その時、私は神が本当におられ、天も本当にあって、私たちが考えるよりも近いところにある事が分かりました。大抵の信者は天は非常に遠い所にあると考えていますが、非常に近いのです。 (写真7) 私たちが救われたなら、それが私たちの中で起こらなければなりません! (1ヨハネ4:12) その当時、ブラチスラバには聖霊バプテスマを受けた信者たちのグループは小さなペンテコステ派グループ一つだけしかありませんでした。彼らは御使いの言葉で祈り賛美をしました。彼らはとても熱心でした。 (写真6) それは栄光なる光景でした。 私はそこで神の臨在を感じました。 彼らの中に天の王国がありました。 その頃、私はイエスが言われた通りに水のバプテスマを受けました。「信じてバプテスマされる者は救われる。」 (マルコ16:16)聖霊を受ける。聖霊の中にバプテスマされる
私はまた、聖霊の中にバプテスマされる事を切望しました。 3ヶ月の間、時々、断食をしながら祈りました。 私は家の中で祈り、自然の中でも、森の中で祈りました。ある真夜中に私が森から戻った時、神が私の祈りを聞かれた事を確信しました。 私は大きな喜びを受け取って、最早や悲しくはありませんでした。神が私たちの祈りを聞かれたなら、私たちにはそれがはっきりします。サムエル記1章に書いてある通りです。(そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。イスラエルの神はあなたの求める願いを聞きとどけられたから。」1サムエル1:13-18。)
1週間後、私は一人で家にいて霊的な歌を歌っていました。 私は御霊に感じて祈り始めました。それは午後3時ころ、聖書では第9時の事でした。私は部屋の中に神の臨在を感じました。 数分後に、炎の舌が窓から入って来るのが見えました。そして、それが私の上に下りました。私は普通の言語で祈り続ける事が出来なくなりました。私はもうただ聖霊に満たされて、他の言語で語り始めました。御霊がそれを可能にしたのでした。九つの言語で神に栄光を帰し、賛美しました。まさに、地上の天国のようでした。また、私は他の言語で新しい歌を歌っていました。 それが終わったのは夕方の6時でした。家に帰って来た兄さえもが私に尋ねました。 「何があったんだ?」 私が他の言語で彼に答え、彼に対する予言を解釈しました。 聖霊は兄が神に改心する事を予言したのでした。 1年後に、兄は神に改心し再生されました。 (その場所が写真8です)
同じ日の夕刻、私は聖霊に導かれて外に出ました。 通りを歩いていると、通り過ぎる二人の少年に会いました。彼らは私の方を指さしながら言いました。「ほら、この人は僕らの飲むワインよりも良いワインを飲んだんだよ!」彼らは宿を出たばかりでした。 これは五旬節(使徒2: 12-13)の日の使徒たちのと同じ経験でした。
その日は私の人生の最良の日でした。 私たちは、毎日、家々で集まって神に祈り賛美しました。 神は私たちにいくつかの聖霊の賜物を下さいました。例えば、啓示、預言、異言の解釈、異言によって賛美を歌う事などの賜物です。こうして、神は先ず私たちの町、それから国内と福音を広げる為に私たちを準備して下さっていたのです。 その後、私たちはヨーロッパの国々にも福音を広げる事になります。イエスが言われた通りでした。「ただ聖霊があなた方に下る時、あなた方は力を受けて、エルサレムユダヤサマリアの全土、さらに地のはてまで、私の証人になるであろう。」 (使徒1: 8) 私は心に福音宣今日の為の大きな負担を抱きました。 私たちはイエスが弟子たちに言われたように何回も祈らなければなりません。「そして弟子たちに言われた、収穫は多いが、働き人が少ない。 だから、収穫の主に願って、その収穫の為に働き人を送り出すようにしてもらいなさい。」 (マタイ9: 37-38) 私は家に留まっている事ができませんでした。 聖霊は私を送り出されたのです…
☆全ての行い、奉仕は聖霊様によって導き、送り出されなければならない。

福音の務めの始まり
神は多くの人々に対し彼の証しをしたり福音を説く多くの機会を私に与えて下さいました。 ある時聖霊は私を墓地に遣わされました。そこにある女性が墓の側でを嘆き悲しんでいるのを見つけました。 私は彼女にイエスキリストの福音を語りました。 彼女は注意深く聞いていましたが、彼女の悲しみの涙がうれし涙に変わりました。彼女は神と主イエスキリストを信じました。別の機会には御使いが私に言いました。 「私があなたに示す教会の建物に行きなさい。」ブラチスラバの聖マルチン教会が見えました。 彼は二度この場所を示しました。 その時、実は私は郵便局に行きたかったのですが、御使いはそれを許してくれませんでした。御使いの顔は見えませんでしたが、彼の美しい翼を持った後ろ姿は見る事ができました。教会の建物に行くと、一人の青年が出て来て、私に挨拶をして言いました。「おい、ポール、我々がここで会うとは、いったいどういうことなんだ?」私は答えました。 「主が御使いを通して私をここに来させられたんだよ!」 青年は私の友人の神学者の一人でした。 私たちはある軍隊のワークキャンプで短期間だけでしたが一緒に過ごした事がありました。当時彼はニトラに住んでいたのですが、その時、彼は私のいる町を訪問していたのでした。私たちが聖マルチン教会で会った時、私は彼に完全な福音を説きました。彼は祝福されて大そう喜んでいました。(写真34)
数日後に他の神学者が私のところにやって来ました。彼は神に対する熱心さゆえに神学校から除名されていました。 主は彼に真理を示して下さり、彼は水のバプテスマを受ける決心をしました。ローマカトリックの神学に従った生き方は全く聖書的ではない事に気が付きました。 彼はドナウ川バプテスマされないでは絶対に家に帰らないと言いました。
私たちは彼の為に祈りました。そして、神は彼がイエスの十字架を背負い、主イエスに従う細い道を歩こうとしている事を私たちに啓示されました。その日に彼はドナウ川バプテスマされて歓喜しながら家に帰って行きました。(バプテスマの場所--写真10、および彼自身のスナップ--写真71)。
また、一人のカトリックの聖職者も転機しました。 彼も神にとても熱心でした。 主は彼に福音の真理を明らかにされました。 彼は7年間カトリック教会で奉仕をしていましたが、そこの教えに失望していました。信者たちは毎朝ミサに行くのですが、昼は居酒屋で酒を飲んだり、神を呪ったりして時間を過ごしていました。彼は転機して水のバプテスマを受け、また聖霊の中にもバプテスマされました。そして、完全な福音の熱心な伝道者となりました。 カトリックの事務局から数人の聖職者たちが来て、彼に新しい車や新しい家を提供するなどと言いましたが、彼は戻ろうとはせず、こう答えました。「私はあなた方が下さるものよりも遙かに多くのものを神様から戴きました。」
ある時、聖霊は私をある町の交差点に行かせられました。 私がそこに立っていると、雨が降りだしたので、そこを離れようとすると、聖霊は私を行かせません。間もなく、二人の女性がやって来ました。 私は彼らと同じ方向に歩き始めました。二人が神への信仰について話しているのが聞こえてきました。彼らは互いに質問し合っていましたが、私がそれに答えることができたので、 二人はびっくりしました。 私は二人を教会に招待しました。その夕刻、彼らはイエスキリストを受け入れる決心をしました。一人が聖霊の中にバプテスマされました。(写真20: 私たちが出会った交差点)
私が家に帰る途中にこんなことがありました。私は聖霊から霊感を受けて病院に行きました。 ベンチに掛けたとたん、ある女性が私に近づいて来て助けを求めました。彼女が言いました。「私の友人が事故に会ったのですけど、家まで帰るのを助けて戴けないでしょうか。」 私たちは長い間救急車を待っていましたが、なかなか来ませんでした。それで、私たちは彼女と一緒に帰り始めました。 途中で患者が私に言いました。 「神様があなたをここに遣わされたと思います。私たちは長い間、助けを待っていました。」私は答えました。 「そうです、その通りですよ。私は家に帰る途中、神様が私をここに遣わされたのです。」 それを聞いて、彼らはびっくりしました。私たちが彼らの家に着くと、テーブルに聖書がありました。私はそれを取り上げてヨハネ3:16を開いて読み、福音を説きました。 彼らは非常に喜びました。そして、私たちは一緒に祈りました。神はこの家庭を救って下いました。 主を賛美します!
福音伝道の働きをしていた時です。私がある村まで行こうと歩いていると、救急車が私のそばに止まりました。そして、運転手が私に話しかけました。私は彼に言いました。あなたは人々の肉体の病気を癒すけれども、人は霊の病気と霊の死から救われる必要がある。 それから、私はその村で福音を伝えました。それから、そこを離れようとしていると、聖霊がある家に私を導かれました。その家では妻だけが信者でした。彼女の夫は信仰に反対でした。私は彼にイエスキリストの事を語り、彼と一緒に祈り、そして、ギターを弾きながらクリスチャンの歌をいくつか一緒に歌いました。その後、男性の顔が変化したことに気付きました。そして、彼は私に敬意を表しました。翌日、私が家を出ようとしていると、彼が私を外に連れ出してこう言いました。「もし、昨日あなたが私たちの家に来て下さらなかったなら、私は今ごろ、死んでいるでしょう。私は首を吊ろうとしていたのです。 しかし、あなたは新しい希望を私の人生の中に運び込んでくれました。 神様が私を助けて下さいました。また、私を救って下いました!」こうして、彼は改心して神に感謝したのです! (写真25:私の左がその男性)
またある時には、主は非常に特別な方法で私を知らない家に導かれました。 私は玄関に入りましたが、誰もいません。 見上げると、壁に碑文がありました。「恐れてはならない、私はあなたと共にいる。」 ハレルヤ! 私はそれによって希望を与えられました。 その時、そこの住人の夫婦が入って来て私を歓迎してくれました。彼らはとても喜びました。 彼らはバプテストの信者でしたが、聖霊バプテスマを希望しました。 私たちが一緒に祈っていると、女性が聖霊の中にバプテスマされて、新しい異言によって神を賛美しました。彼女が言いました。 「私たちは何ヶ月もの間この賜物を祈り求めてきました。そして、今日、神様は私たちの祈りに答えて下さいました。主を賛美します!」 (写真70) ☆続く
10.9.26日
      信仰の言葉ミニストリーズ faith_hoshino