主イエスの携え上げ預言、パート32

主イエスからの緊急のメッセージ
「私は来ようとしている」(パート32)
http://end-times-prophecy.com
End-Times-Prophecy.com JESUS WILL RETURN … SOON
☆上記終末預言サイトを翻訳したものです。
スーザン姉妹とサブリナ姉妹、二人の証人による確認預言です。

親愛なるキリストにある友人の皆さんへ
これは主イエスからの一連のメッセージ、時が遅い事を世界に警告する為のパート32です。主イエスはご自身の終末のメッセージを伝える為に私たち(サブリナ:ベルギー、スーザン:米国)を召されました。この一連のメッセージは私たちに口述(他の人たちも同様です)されたものです。
パート32において、皆さんへの最初の手紙はイエス様によってスーザンに口述されました。それから、サブリナも皆さんの為の手紙を主から受け取りました。私たちの友人トレーシーが主から受けた警告の言葉を掲載しております。
主が間もなく戻られるという主題は多くの人々の心から最も隔たったものです。しかし、これらの手紙を読んだ人たちからたくさんの連絡を頂きます。それによると、終末のビジョンや夢を見たというものです。多くの人たちが主から同様の言葉を聞いておられるのです。その人たちの多くが子供たちです。子供たちは時々主が用いられる最も良い目撃者であるのです。また、世界中で起こる、信じられないような出来事に関するメールも多く寄せられます。このメッセージのテーマは唯一の望みであるイエス様に転機する事であり、目前に迫った事柄の為に用意を整えることです。
ご注意:本メッセージと一緒に五つのリンクを張っておきました。一つは私たちの友人であるフィリピンのジュード(Jude)さんによる案内書形式の主からの手紙と、他の私たちのパートナーのリンクです。他言語にも翻訳してみんなに拡散して下さい。
全ての栄光と誉れが私たちの祝福された主イエスにありますように!
屋根の上で主の御名を叫びなさい!
キリストにあるあなたの友人
サブリナ jan.sabrina@pandora.be とスーザンkidsmktg@sbcglobal.net
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第61番目の手紙(2010年12月29日):この手紙はイエス様からスーザンに口述されました。
スーザン、あなたに言葉を与えます。
スーザン、今は私が我が民の前に来て、これらの言葉をもたらす最後の時です。私はあなた方を納得させようとして来た。私は懇願して来た。私は考えて来た。私が言っている事を信じる理由を次々とあなた方に与えた。私の言葉は明瞭である。私は誠実な神である。私は本当の事を言っている。私はあなたの前に来て真理を語ってきた。あなたは片眉(かたまゆ)を上げもしないし、瞬(まばた)きもしない。あなたは信じない。あなたにはあなたの理由がある。生活は正常であるように見える…物事はうまく捗(はかど)っている・・・気にする理由もない…生活のパターンを変える理由がない…悪い振る舞いの事で涙を流す理由はない…あるいは聖なる神の前でへりくだる理由はない…この世的な歩みを悔い改める理由もない…いつも考えている事から違う考え方をする理由はない…人生はいつものように進行している…我々はただ成り行きに任せているのだ…
私の子供たちよ、私に言わせて欲しい。私、神はこの世代にうんざりした。これ以上あなた方に我慢ならない。臭くて鼻に衝く。あなた方があらゆる罪に支配された行動に没頭しているのを見ると、私は吐き気を催す。もうこれ以上許容する事はできない。この世とその極めて理不尽な悪行をこれ以上傍観している事はできない。
おぞましい。私は我慢できない。あなたに届くにはどうすればいいのか?神を拒絶し、圧倒的に悪を愛する、失われて死にかかった世代に達するには、私はどうすればよいのか?この不貞の輩(やから)の為に、もうこれ以上私の花嫁を待たせておこうとは思わない。彼らの神に殆どか全く関わりを持たない者たちは私にとって悪臭である。 私はあなたを吐き出そう。 私の言葉はこれについてはっきりしている。私、神が自分の言葉を守らないと思って欲しくない。私は愛する、私は祝福する、私は供給する、私は癒す。しかし、私の民よ、私があなたの創造者に対するあなたのなまぬるい姿勢に対して時間がない、と言う時にも、私は真理において一貫している。私は真実である。最終的にあなたが私と顔と顔を会わせる時、あなたは永遠に私と分かれる事となるのである。あなたを私と一緒に天にある私の美しい家に連れて行く事はできない。あなたはその中に入る事はなく、その一部になる事さえないのだ。あなたは天の壮大さを目撃する事は決してない。あなたは外の暗闇にいて、情愛深い、優しい神から遠く、遠く離れて苦しむのである。これはきつい言葉である。しかし、それが私の真理である。いずれ、こういう事になるのである。

私の王国に通じる私の道は非常に狭い。それを見出す者はほんのわずか。なぜあなたは尋ねるのか?私の王国へと至る道は完全な明け渡しが必要である。あなたは悔い改め、あなたの生活プランを全て私に与え、全てを私に与えなければならない。私があなたの存在の中心焦点でなければならない。これは無理な要求のように見えるかね?私は神である。私はあなたの肉の中に命を吹き込んだ。そして、今あなたは存在しているのである。私がそう考えたから、あなたは存在しているのである。私は、あなたが自分を知っているよりも、もっとあなたの事を知っている。だから、今、あなたの神に対して完全に明け渡すという私の要求を信じなさい。無理な注文だろうか?あなたができる以上の事を、あなたの主なる私が求めていると、あなたが本当に考えるのなら、あなたの命は間違いなく私から遠く離れる事になろう。あなたにその自由を与えよう。自分の行く道を選ぶがよい。私の敵に従って行くがよい。彼はあなたを広い道に誘って地獄に至るのである。これがあなたの選択であって、あなたの選択した通りになる。あなたが私から離れ去る事を許そう。そして、私の敵の後について行く事に決定したのである。
もしあなたがその方向に行くのなら、私に言わせて欲しい。あなたが永遠に私から離れた時、何が起こるか。あなたの人生は全て良しと考えても、その全てが蒸発してしまうのだ。あなたは愛、望み、平和、親切、そして、私の麗しさを知る事は決してないであろう。その代わりに、あなたが受けるものは恐怖、苦痛、戦慄を受ける。これが地獄である。殆どの人々が行く所である。狭い道を見出すものはほんのわずか。私が狭い道である。美、完全、平和、愛、希望に満ちた私の王国へと至る狭い通路に通じる道が私である。
私の花嫁は細い道を知っている。彼女は私にだけ従い、私即ち彼女の主また主人だけを礼拝する。彼女は私と一緒に安全地帯へと来る。私は彼女を保護し、彼女を愛し、永遠に彼女の安全を守る。彼女は後悔を知る事は決してない。彼女はいつまでも、彼女の夫である私に満足する。私、イエスは彼女の恋人であり、彼女を常に、また、いつまでも愛する。私たちはいつまでも私の王国を共有する。それは壮大であって素晴らしい事。私の心の場所であるこの場所に来る者はほんのわずか。私を見つけて、私を自分の世界の中心に置く者はほんのわずか。これを行う者は失望を知る事は決してない。彼らが世の損失を被ることは永遠の王国、即ち私の王国を獲得する事。
あなたの永遠の存在という結末を自分で選ぶ機会があなたに与えられている。私の子供たちよ、永遠は決して終らないのである。あなた自身を永遠に私の世界、即ち私の王国の外に置かないようにしなさい。あなたの全存在を今、私に明け渡しなさい。時は急速に消えて行きつつある。私を見出すのだ、そして、自分を見出すのだ。
私の忍耐がすり減ってきた。間もなく時間切れとなる。もし、あなたが私に背いた選択をするなら、私はあなた置いて去る事になる。私はいつも私の言葉に真実である。私は変わらない。私の言葉は真実。
私を愛して生きる。私の道が嫌いで常に私から離れて生きる。あなたが決めるのだ。私はあなたを愛している。私の方を選びなさい。私はあなたの造り主であって、私の永遠の喜びの為にあなたを創造したのである。しかし、あなたは私と一緒に居たいと願わねばならない。 「私である」が語った。
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2010年12月30日にイエス様からサブリナ(ベルギー)に口述された言葉
「私の民よ、みな私の言う事を聞きなさい。「私である」が話しています。なぜ、あなたは私を見捨てるのか?なぜ、あなたはそのなまぬるいライフスタイルを続けるのか? なぜ、神なる私があなたにとって十分ではないのか? 私があなたの為に十字上で死んだ時、私にとってあなたは十分良かった。あなたは私を知ってさえいなかった。あなたは存在していたが、この世界にではなかった。あなたは私によって既に創造されていた、あらゆるものが私によって創造されていた。その時、あなたは私を知らなかった。あなたが私を知るようになったのは、私があなたをこの世界に送り込んで間もなくの事であった。
あなたは私の目に喜びであった。あなたにあるものは全ては完全であった。私はあなた方一人一人のあらゆる詳細を楽しんだ。しかし、現在、あなたは目を他に向けている。私の心はこれで傷ついている。少しずつ、あなたは私、即ちあなたの創造主から落ちて行っている。あなたは私にとって、ラブストーリーのようなものであった。その意図は永遠に互いを楽しむことであった。しかし、私は世と世の魅力へと向かったあなたを失いつつあった。あなたはそれを大いに楽しんでいたので、私は傍らに立って、いつあなたが再び私、あなたの創造主、あなたの鼻に命を吹き込んだ者の方に目を向けてくれるかと見ていた。
しかし、あなたはこの世の楽しみを選んだ。それがあなたにとって、はるかに良い匂いがするからだ。しかし、あなたの人生においてあなたの導きであるべき私の匂い、私の道、私の指示、私の計画、私の言葉そのもの、私の聖霊によって記された聖なる言葉はあなたの目には楽しみが見つからないいのである。これはあなたが為し得る、最悪の選択である。あなたの中に命を息吹き込んだあなたの造り主に反抗する選び方は為すべき善ではない。
それゆえ、天の門が閉まろうとしている。私の言葉が言う通り、確かにその道は細い。しかし、門が閉まろうとしているが、これまで彼らの主への愛と明け渡しをもってずっと私に従ってきた者たちがそこから入ろうとしているのである。彼らは報いは大きい。彼らの永遠の命は計り知れない喜びと平和と愛の充満は圧倒的であろう。私の場所は美しい所である。私はあらゆる類のものを創造しておいた。それをあなたがあなたの造り主なる私と一緒に永遠に楽しむ事が出来るためである。私はあなた方一人一人の為にユニークなプランを考え抜いた。きっとあなたは大いに喜ぶ事であろうに。あなたが追い求めているはかないこの世のものは、私があなたの為に用意して持っているものと比べるなら木っ端微塵になってしまう。
だから、よく聞きなさい。それを全て明け渡しなさい。私の言葉が言う通りに、書いてある通りに、天にいるあなたの神の前で聖なる生活を送りなさい。そうではなく、罪と偶像礼拝でいっぱいの悪臭ただよう世界で好き勝手をする事で、あなたは地獄への途上にあるのだ。なぜあなたは私の言葉が厳しくて警告がいっぱいだと考えるのか? 私は地獄がどのようなものであるかを知っているからである。そこでは多くの魂たちが、もう一度チャンスをと、大声で叫んでいる。彼らは今、私に従う為なら何でもすると言う。彼らはサタンによって指導された世的な活動によって誤導された事が分かっているのである。現在、彼らは永遠の苦痛と痛みの中にいる。彼らの苦痛は終りを知らないのだ。 ☆ほとんどの人たちはこの通り。
私がしばしば地獄を訪問する際に彼らが私を見ると、今では私の血のパワーを認識しているのである。私の血は現世においてのみ効力があるのである。今それを拒絶するなら、あなたは永遠の為の選択をする事になる。あなたがいったん失われたのなら、自分の運命を自分自身が選択したのであるから、私の血があなたを救う事はできない。私はあなたに自由意志を与えた。私があなたに豊かな命を与える為に、私はあなた方全ての為に、恐るべき死を遂げた。この豊かな命は永遠の為である。しかし、あなたは私から即ちあなたの神また創造主から離れて世の豊富を追い求めている。これはそんな事の為では決してなかった。
私の民よ、あなた方が私から遠く離れてさまようときどうなるか、あなた方は十分に分かっている。あなたの霊的存在の中でその事を知っている。それは神の義である。「私である」は義なる神である。それなら、誰も失われない筈だ。あなたにはまだ機会がある。しかし、一旦ドアが善人の為に閉じつつあるとすれば、あなたには殆ど望みがない。私の花嫁はその創造者と私による彼女の勝利を祝って、私と共に天にいる事になる。あなたもそんな事になっても構わないのかね?(訳注:ドアが閉じて取り残される事)
私の心は痛む。しかし、私は言おう、よろしいと。私に他に何ができる?あなたは自由意志を持つ者として創造された。しかし、誰もが失われて永遠を地獄で過ごす事が私の願いではない。あなたは、自分は地獄には行かない、と考えている。私は日曜日に私の神様を覚えて、教会へ行きます。人に危害を加えたりしません。あなたは私の言葉に違反しておいて、人に危害を加えないだろうか?あなたの全てを尽くしてあなたの神なる主を愛し、あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい。あなたは隣人に証ししたかね?彼らは、あなたが特別な、血筋の異なった、この世の何よりも優って自分の神を愛している事を知っているかね?彼らは、このような愛があなたから流れているのを見ているだろうか?彼らは知っているかね?私があなたをそこへ置いたのは、あなたが私の証し人となる為だ。
あなたが会う者たちはみな「私である」があなたの神である事を知るべきである。しかし、あなた方の多くが私の名に言及する事さえ恥じている。言っておくが、私は裸になってあなたの罪の荷を背負ったが恥ずかしがりはしなかった。私があなたの為に鞭打ちに耐えるのに恥ずかしがりはしなかった。当時の支配者たちから馬鹿にされたり弄ばれたりして私自身辱しめを受けたけれども、私は恥ずかしがりはしなかった。
しかし、あなた方がみんなしなければならない事は私の名を口に出す事である。ところが、あなた方はそれを自分の唇に乗せる事もできない。それは、「私である」があなたの心にない事を意味する。それはあなたにとって、あなたの神を喜ばせる事より、人を喜ばせる方が大切である事を意味する。 私が雲の中にあって現れる時、完全に私に明け渡し、私の名の為にその人生を捧げた者たちを取り上げる時、恥ずかしい思いをする事はないのである。しかしながら、いわゆる世の友に同調して私を否定し、嘲笑い、からかったりする者たちからは私の顔を背ける。その世の友たるや私の聖なる名を罵り、私の言葉、即ち私の聖なる言葉によって生きる必要を全く考えない者たちであって、それで万事うまく行くし犯罪が世を支配摺る事はないと考える者たちである。
おお、そうだ、敵があなたを引っ張っているのだが、あなたはそうする許可を彼に与えている。私は義なる神である。それでも、私はあなたに自由意志を与えた。あなたが為すあらゆる選択はあなた自身のものである。だから、ある日、あなたが私の聖なる王座の前に立つ時、来て言い訳をしてはいけない。私はそれを受け入れない。全てかゼロかである。中間は受け付けない。私の父も同じである。
今は恵みの時(訳注:I2コリント6:2)。私があなたにこれを全て可能とした。だから、賢明に選ぶ事である。私の民よ、これは永遠の為の選択である。あなたの面倒をみていなければ、私はあなたの為に死んではいない。道は開いている、選択はあなたのものである。 「私である」が語りました。アーメン。」

エペソ書1: 4 1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
イザヤ43: 6-7 6 私は北に向かって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。7 全てわが名をもってとなえられる者をこさせよ。私は彼らをわが栄光の為に創造し、これを造り、これを仕立てた」。
イザヤ45:12 12 私は地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。
創世記2:7 2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
1 テサロニケ 4:7-8 7 神が私たちを召されたのは、汚れた事をする為ではなく、清くなるためである。8 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
創世記28:17 17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
ヨシュア23:16 16 もし、あなたがたの神、主が命じられたその契約を犯し、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、主はあなた方に向かって怒りを発し、あなたがたは、主が賜わった良い地から、すみやかに滅びうせるであろう」。
1 サムエル15:24 24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
ルカ9:26 26 私と私の言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来る時、その者を恥じるであろう。
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11.1.13日   翻訳は東信男兄
      真理の言葉ミニストリー 星野明義 和子