神が二人の証人を選ばれることは聖書的

申命記17: 6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。
申命記19:15 どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。
マタイ18:16: もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
Ⅱコリント 13:1 わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。
1 テモテ5:19: 長老に対する訴訟は、ふたりか三人の証人がない場合には、受理してはならない。
ルカ10:1: その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。
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主がチュー・トーマス(Choo Thomas)による次のメッセージを載せて欲しいと依頼されました。彼女は「天国は本当にある」の著者ですが、このメッセージは彼女がフェースブックFacebook)上に掲載したものです。重要なメッセージなので、奨励の意味でここに掲載致します。
2011年1月9日
 2010年は携挙のために選ばれた人たちにはテストの年でした。私たちの主を賛美します!2011年1月1日の午後、主は2010年に多くのクリスチャンを携挙のためのテストをしたと私に言われました。彼は携挙の準備のできた人々の多くが、特に油注がれて彼の声を聞く事の出来る人たちが、2010年にそれが起きなかった為に、たいそう失望した事をご存知です。
 携挙が起こらなかったため、非常に多くの人たちがたいそう失望したのですが、その年にテストされた人々の中のある人たちは全てのテストにすぐさま勝利しました。しかし、ある弱い人たちは元の罪深い生活に戻ってしまい、主との関係は良くありません。同時に、携挙があるとか、それがいつのことだとかも信じたくありません。携挙を本当に信じる人たちは困難をすぐに耐え抜いて、引き続き、今でも私たちの主の来臨がすぐにもあるように待ち望みつつ、聖なる生活を送っています。
 昨年のテストで主は、誰が彼の本当の花嫁であり得るのか認識されたと信じます。そして、テストに耐え得なかった人たちは、たとえ携挙されたとしても、主の本当の花嫁にはなり得ないと思います。特に選ばれた人たちは他の人たちよりももっと厳しいテストを主によって課されたと私は信じています。私は聖なるであるその方法を想像できます。 私たちがキリストの花嫁となるためには私たちの生活が如何に聖であるべきか想像する事ができます。私たちはそれを軽々しく受け取りますが、キリストの花嫁として本当に準備される事は本当に怖い事です。それゆえに、神は彼に来る者にはだれにでも、世に対して死に、完全に彼のために生きるようにと言われたのです。1ヨハネ2:15-17を読んでください。このメッセージを読まれる方はどなたも、如何なる困難があろうとも、最後まで堪え忍んで、携挙を待ち望む人たちでありますように。イエスは私たちのために全てを捨てられました。同様に、彼の花嫁となるために、私たちもまたすべてを、主との関係を妨げる世と世にあるものを、捨て去らなければならない。私たちと同様、御子がすぐにも来られるように待ち望んでおられる人たちの上に神の恵みがありますように。チュー・トマス(Choo Thomas)
訳注:1ヨハネ2:15-17 15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があ れば、父の愛は彼のうちにない。16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
☆昨年からスーザン姉妹、サブリナ姉妹とメール交換し続けています。
  チュー・トーマスは韓国系アメリカ人で、「天国の体験記」の本が世界中に発売されています。
11.2.24日     真理の言葉ミニストリー  星野明義  和子      

主、私は来ようとしている パート36

「私は来ようとしている。」パート36

キリストにある我が親愛なる友人の方々へ
 これは主イエスからの一連のメッセージ、時は遅い事を世界に警告する為のパート36です。主イエスはご自身の終末のメッセージを伝えるために私たち(サブリナ:ベルギー、スーザン:米国)を召されました。この一連のメッセージは私たちに口述(他の人たちも同様です)されたものです。
 私たちの主イエスは二つの手紙を私たちサブリナと私に口述され語られました。それぞれが最終の時期における重要な指示を含んでいます。主のご帰還のための準備についてと手遅れになる前に他の人たちに拡散する事についての記述がありますから、どうぞこれらのレターを読み続けて下さるようお願いします。至る所にいる多くの人々が救われる為に、主が御自身の御心を多くの人たちと共有することをお許しくださるということはとても素晴らしい主からの贈り物です。どうかよくよくお考え下さり、勇気を出して、これらの言葉を他の人たちにお伝え下さい。あるいは、最低限、キリストを求める事が大切である事を他の人たちに伝えて下さい。

 また、本務めの中で全ての人たちとクリスチャンに真剣な警告を発したいと思います。多くの人たちはその務めの中で会衆に対し、これから先まだ10年、20年、30年という将来があるから、それに応じて将来の計画を立てていると言っているそうです。この行動には問題があります。現在、私たちは終わりの時代にいるのです。もし、主が戻って来られるまでまだ何年もあると考える人たちの言葉を受け入れると、人々は極めて不利な立場に置かれ、主との関係においても準備の出来ていない危機的な状況に立たされることになります。集会でのそのようなメッセージのもう一つ重大な問題点は、聖書の獣の刻印の記述(訳注:黙14章)がまさにRFIDチップであるということです。
訳注:RFIDチップ(Radio Frequency Identification:電波方式認識)、微小な無線チップにより人やモノを識別・管理する仕組み。流通業界でバーコードに代わる商品識別・管理技術として研究が進められてきたが、それに留まらず社会のIT化・自動化を推進する上での基盤技術として注目が高まっている。
 米食品医薬品局(FDA)は、医療目的で人体に追跡用デバイスを埋め込む行為を承認した。こうしたデバイスを生産しているフロリダ州の企業が明らかにした。
 人体に埋め込み可能なRFIDタグ「VeriChip」を製造するApplied Digitalは10月13日(米国時間2004年)、FDAが1年間にわたる審査の末、病院での同社技術の利用を承認したと発表した。
 このチップは米粒ほどの大きさで、腕の脂肪組織に注入して使用される。医師や病院スタッフは、特殊なスキャナを使って、患者の名前や血液型、体調に関する詳細な情報などをこのチップから読み出せるようになるため、迅速な治療を施せるようになると期待されている。同社は、アルツハイマー病や糖尿病、心血管疾患など、複雑な治療が必要な病気の患者をこのデバイスのターゲットとしている。以上wikiその他から引用。他にもこんな記事が、http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=200&com_id=134051&com_rootid
=134051&com_mode=flat&com_order=0#comment134051)

 RFIDチップは刻印(黙示録の)の基準を正確に満たしています。売買に利用される事。右手と額に埋め込まれる事(今ではタトゥーのRFID「刻印」が市販されています)。聖書は刻印の第2バージョン、第3バージョンが続くとは決して書いていません。一つの刻印があるだけです。敵は、あなたが求めている刻印はあなたにとって問題が起こり得ます、などとは決して言いません。ですから、信用ならないのです。
この世代が10、20、30年続くと言う牧師たちは、この変化の多い文化の中で生き残る為に、人々はRFIDチップを受けなければならない事になるでしょう。チップの埋め込みは現在は個人の自由裁量によりますが、すぐに強制的になる筈です。人々は今すぐにも、RFIDチップが獣の刻印である事を認識して貰う必要があります。それから、この先まだ何年もあると言う事は、獣の刻印を受けても大丈夫と、うっかり是認してしまうことになります。チップを受けた人たちに私たちは会った事があります。どうか、先はまだ何年もあるなどと言ったり、チップを受けても大丈夫などと会衆を騙さないで下さい。この件に関して主を探ね求めてください。

黙示録14: 11 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、誰でもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
黙示録13: 16-18 16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、全ての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
全ての栄光と誉れが私たちの祝福された主イエスにありますように!
屋根の上で主の御名を叫びなさい! キリストにあるあなたの友人
サブリナ jan.sabrina@pandora.be とスーザンkidsmktg@sbcglobal.net
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注:主の言葉のパート36版には、ジュード氏による2、3の新しい冊子があります。印刷と配布が可能です。私たちの友人バディ・ベイカー(Buddy Baker)氏のリンクに2、3のビジョンが追加されました。トム・ヘール(Thom Hale)氏編集による「主のレター」のYouTubeビデオへのリンクがあります。また、マイク・ペラルタ(Mike Peralta)氏による「主のレター」のMP3オーディオファイルを制作して下さいました。感謝します。また、主から依頼を受けて、チュー・トーマス(Choo Thomas)姉妹による主からのレターを掲載しました。
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2010年1月14日、主イエスからサブリナに口述されたレター
私の証し人でありなさい!
「親愛なる私の娘よ、これを書いてください。私の声を聞きなさい。
 私はこのレターの中で証しをしない人たちに私自身から語り掛けたいと思います。私の子供たちが世の光となるように期待して、私は彼らを地上に残しておきました。私の子供たちよ、あなた方の多くは私の光である。しかし、クロゼットに引き篭って、「成り行きを見ていよう」という者たちに私は語りたい。

 あなたの祈りは第一に、多くの人々を暗闇から私の光の中に引き入れる必要がある。私の光はこの世で光り輝かなければならない。だから、私の子供たちよ、出て行ってあなたの神を証ししなさい!あなたは何を待っているのか?私はあなたを愛している。そして、あなたが自分と同じように互いに愛し合うように命じておいた。もし、あなたが証しをしないなら、あなたには自己愛があるだけである。それは私の言葉の中にはない愛である。

 私はあなたに命令して言った、私の証し人となって全世界に出て行きなさい(訳注:使徒1:8、マルコ16:15)。しかし、私の子供たちの多くがそうしているのを私は見ていない。彼らは私の愛で満たされていたい、とだけ願っている。これは自己愛である。私の愛をあなたに与えるのは、あなたが出て行って人々に私の愛を与え、暗闇から彼らを連れ出して、私の貴重な血によって、私が彼らを救うことができるためである。あなたが私の血のことを語らないなら、多くの者が失われることになる。語れ、証し人よ!勇敢であれ、自分の恥や欠点のことを考えるな。人々の心を準備するために、第一にあなたの祈りが必要である。そこで、私の血と私の救いについて語るあらゆる機会をあなたに与える。

 あなたが知るようになった私の愛を証しするためにはあなたの行動が必要である。私の子供たちの多くがまだ自分自身の計画に占有され過ぎている。これを私は祝福できない。最も重要な事は、私の意志の中にいることである。さもないと、たとえ、それがあなたの目には私の計画に従った正当で喜ばしいように見えたとしても、あなたは敵の道に踏み込む危険を冒しているのである。

 私の子供たちよ、よくよく注意せよ!祈りなさい、用心深くしていて、あなたの一日の毎分毎分を私に与えよ。多くの者は最初に計画を立ててから、私の祝福を求める。この方法は祝福できない。私が願うのは、すべて私の子供たちが証しをすることである。私の血、十字架上の私の犠牲について話しなさい。そして、私たちが生きている時代について語りなさい。私があなたを私の言葉でもって満たす。よって、人々はあなたの知恵に気付くかも知れない。賢明であれ。私の子供たちよ、知恵を、上から来る知恵を求めて祈りなさい。何事も偶然はない。何事でも私に求める者には私が全てを指示している。全ての事において私に尋ね求める者を私は愛する。全ての事において私に尋ね求める私の子供たちの心を私はとても好きである。証しせよ、私の花嫁よ!

 いまだに自分の計画を追いかけているのなら、あなたは私の意志の中を歩いていない。私の意志こそあなたの人生の中で完全で正しい道である。だから、その道の上を歩くのだ。メディアからミスリード(誤導)されたり影響を受けたりしてはいけない。メディアはこの世で最大のミスリード手段の一つである。世界にはあなたを絶望と損失(あなたの魂の損失)へと向かわせる手段がいくつかある。それゆえ、本通りを歩き続けよ。私の道は永遠の命へと通じている。

 私の子供たちよ、あなた方を当てにしてもよろしいか?あなたの神を語り、証しをしてくれるかね?それとも、黙ったまま、ただ手をこまぬいて待っているだけかね?私を本当に愛する者は自分の神について証しをする以外に何もできない。彼らは自分の心にあるものについて話すものだ。それが出て来なければならない。ある人の場合、それが出て来ないなら、私が私の愛と情熱であなたを満たすことができるように祈りなさい。本当の情熱がそれを表す。

 人々は暗闇の中に生き、悪魔によって盲目にされている。彼らは仕事をし娯楽を楽しみ、仕事をし死んで行くというように世的な生き方をしている。彼らの人生に何が残るであろうか?彼らの魂が失われているのは確かなことだ。彼らには世の中の流れについて彼らなりの考えがある。そして、この世で起こる事柄に関する知識が必要であると考えている。しかし、彼らはそのすべてに私の手があることを全く見ていない。彼らはそのことに気付かないし、彼らの思いの中に入っても来ない。それは彼らが敵と、社会の中にある敵の邪悪なシステムによってコントロールされているからだ。彼らはあきれるほどに盲目にされている。私の子供たちよ、私の花嫁よ、彼らに希望を与え、真の光を示し、彼らの生活の中を照らすことで、あなた方を当てにしてもよいであろうか?皆がこれを必要としているがゆえに、彼らが頑強に否定しても、だれも私なしには生きて行くことは出来ないのである。

 かつて彼らが私の愛を味わったことがあるのなら、希望がある。私は十字架上で私の愛を示した。彼らの人生の中で私の愛を証しするために、彼らが受けたものを伝えるために、私の花嫁を私はここに残しておいた。私と共にある永遠の命について、彼らに語りなさい。今なお生きている私の貴重な血について彼らに語りなさい。彼らの罪は彼らを救うことができず、永遠の恐怖に導くことを彼らに語りなさい。

 私の子供たちよ、彼らの罪を彼らに示しなさい!彼らに私の言葉(訳注:聖書のこと)を見せてあげなさい!私の言葉がこの地球上にある。埃(ほこり)を被っているためではない。それを生きた手段としてあなたの手に持って利用するためにあるのだ。私の言葉は私の聖霊によって書かれている。彼がそのすべての著者である。彼がそのすべての背後にある創造的な霊である。彼にすべての誉れを帰し、私の言葉を持ち出し、他人に交わることによって、それを学びそれを生きよ。

 私の子供たちよ、もう静かにしていないで、地球上における私のマウスピース(送話口)となりなさい!これは要求ではなく命令である。私の聖なる言葉に書かれているからである。もし、私や私の言葉のことを証ししないなら、私の愛はあなたの心の中にはない。心がいっぱいになると溢れる。心が私でいっぱいになっているか?そこから私が溢れているか?

 そのような心を持つ私の子供たちを私は称賛する。地球上での報酬はわずかであるか全くなくとも、私の王国では、彼らに対する報酬は極めて大きい。尚、あなたは最も大切なものを持っている。私の心である。
私はあなた方を愛している、私の子供たちよ。
私、聖なる神 エホバ イェシュアが語った。」
使徒1: 8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、 ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
マルコ16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
Iコリント9:16 私が福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。
ヤコブ4: 13-14 13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。
14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

ヤコブ1:5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
ヤコブ3:17 しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
ルカ6:45 善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。
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レター66、2011年1月13日、イエス・キリストからスーザンに語られました。
そうです、スーザンよ、あなたに語りたい言葉があります。
喜んであなたに言葉をあげましょう。
 私の戻る日が近付いている。私は天から来ようとしている。それは栄光である。空が開かれる。私が空を裂いて天使たちを伴って来る。私は鷲(訳注:複数)の翼に乗って、地球に向かって来る。私の容貌は偉大であり、私の美しさは壮観、今までだれも見たことのない光景である。
 私の民をこの瞬間のために用意するよう動かすにはどうすればよいだろうか?私は彼らに準備してもらう必要がある。彼らの心が純粋でないなら、天にある私の世界に彼らを連れて行くことはできない。彼らは自分自身を私の貴い血で洗い、自分の悪を悔い改め、そして、進んで自分の生活を改めて私に明け渡さなければならない。
 人々は私と関係を持つため準備をすることにためらいがある。彼らは私との深い親密な関係に入りたいとは思っていない。もし、この密接な関係がなければ、私は彼らから遠く、永遠に遠くなってしまう。私から遠く離れて、この世に捕らわれていることは、高価な選択をしたことになる。彼らは世に巻き込まれている。彼らは永遠の死、苦しみ、拷問、終りのない苦難を買ことになるのだ。

 私は自分の言葉についてはっきりしている。しかし、人々は自分の好みに合うことを言われると、何でもそれを信じたがるものである。私の民よ、あなたは世の事柄に耽(ふけ)って、いろいろな手段を使ってそれを正当化している。あなたは、自分があまりに熱心に王国にしがみついて世との関わりから離れてしまうなら、私の王国のために自分は役に立つことはできないと言っている。さて、これは真理から最もかけ離れたものではない。しかし、これはサタンの嘘、騙しごとである。あなたを私の真理から引き離して世に誘い込む敵の戦術である。
 私の言葉は言っている。私が聖であるから、あなた方も聖であるべきである(訳注:レビ19:2)。清くない世の事柄に没頭しておいて、どうして徹底的に聖なる生活を送ることができようか?私が何を言わんとしているか、あなたには分かるであろう。世の事柄に注目し、話し、聞いたりすることがあなたの魂を汚染することはない、とあなたは弁解する。かたまり全体を損なうのに少しのパン種で十分であることをあなたは知らないのか?(訳注:Iコリント5:6、ガラテヤ5:9)

 あなたが敵に目をくらまされ、真理に無感覚になり、罪に支配され、大いに騙されているのを見るにつけ、私はあなたに何を示せばよいのか分からない。あなたは、世と世の道にちょっと触れておいて、私の代表として私の王国に役に立っているとして、これを許している。あなたは自分自身に悪を持ち込んでいるのだ。私の真理は言う。離れて避けよ(訳注:申23:9、Iテモテ5:22)。何だね、あなたはこれを信じないのか?それが私の言葉の中にある。そして、私の言葉は決して嘘を吐かない。私の言葉には真理がある。世には欺きがある。

 あなたが細い道を見つけてそこに留まっていたいと思うなら、あなたの目を私に固定し続けなければならない。あなたは私に真理を尋ね求めなければならない。そうすれば、私の霊があなたを導く。世は混乱をもたらすだけである。答えを世に求めるなら、多くの答えを受け取るであろう。そこで、あなたは自分の気に入ったものを選ぶことができる。そして、その答えがあなたを破滅への道、即ち世を愛する肉と情欲の道を歩き続ける許可をあなたに与えるのである。しかし、真理は私に、即ちあなたの主イエスおよび私の書物にだけ見出される。

 時は終りに近付いている。人は私、即ちその造り主、創造者に敵対する選択をした。私は私の花嫁を私と一緒に安全な場所に連れて行かなければならない。それから、世には自ら選んだ自滅への道を進ませることにしよう。悪が完全に後を継承するとき、それがすることは究極の死と破滅に導くこと。人は聖なる神の監督、愛、保護なしにはうまく機能できないのだ。そこで、世界は、神なる私、イエスなる私の純粋さ、愛、聖を拒絶することによって、終焉に至る確固たるコースに乗るのである。
 変化が来ることに気付くのは困難である。それは極めて微妙に見える。しかし、それは人々が非常に熱心に世に関わっているため、聖なる生活からの自分たちの距離を見ることができないからである。聖はこの死につつある、腐敗した世代にとっては一風変わった概念である。聖は人々には理解できない。彼らは純粋また愛することを拒否して、邪悪な、恐ろしい、汚れたものに抱きつく。私の民のことを私が言っていることは分かるだろう。
 真理は隠れにくい光である。私のところに来るのだ。私の足下に伏すのだ。悪とこの世への欲望を悔い改めよ。そうすれば、私はあなたを受け入れる。私の貴重な血であなたを綺麗に洗って上げよう。そうすれば、神を拒絶する世界に対する私の父の怒りから逃がれることができる。

 このことをよくよく考えて欲しい。時代が変わりつつあるのだ。すぐに激変する。今、私に向きを変えないなら、逃げたいというあなたの願望は過去のものとなってしまう。私はあなたを大声で呼んでいる。世から出て来なさい。なまぬるい教会から出て来なさい。悪から出て来なさい。そして、私の敵と共に歩くことから出て来なさい。あなたの主である私を抱擁しなさい。そうすれば、あなたに見る目を、霊的な目を与えよう。あなたは真理を見ることができる。あなたは世と敵の目的を見、そして、あなたが陥っていた敵の欺きと罠を見ることになる。
 私にあなたを永遠の破滅から救わせて欲しい。その日々は短い。光陰矢のごとし。さあ選ぶのだ。選ばないことは私に反対する選択である。私と一緒に来るのだ。私は待っているが、しかし、すぐにあなたは待ちくたびれて誘惑に負けて世にしがみつく。そして、世はあなたのものとなってしまう。しかし、私は待たない。思い違いしてはいけない。私の民を私は長い間待ことはない。
 私を探し求めよ、そして、自分を救え。敵から逃げるのだ。あなたのための彼の計画は死である。世界と戯れるなら、あなたは敵の術中に嵌(はま)っているのである。

間違ってはいけない。
私は来ようとしている イエス

ピリピ 4:8 最後に、兄弟たちよ。すべて真理なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。

携え上げられるには何を信じるのか

  携え上げられるには何を信じるのか  (ブロク記事)

 私は1968年に19才で主イエス様を信じて救いを受けました。その時から何度も堕落して、教会に行かなくなりました。しかし、私の心の中に私自身ではなく、何か別の存在がおられて、こんな事をしているなら、天国にいけなくなると言う気が心の中から静かな思いが湧き上がって来ました。
 これが主イエス様が言われた、「私と全く同じ、別の助け主(アロス・パラクレートス)をあなた方にお与えになります。」ヨハネ14:16節に書かれている通りです。私は生まれつき罪人であり、罪しか犯す事が出来なく生まれました。なぜなら、私たち世界中の全人類は創世記のアダムの中に共に私自身もいて、神に反逆し、サタン(悪魔)の支配下に陥りました。ですから、霊が死に、私は神が霊であられるので、神が全く分らなくなってしまいました。しかし、19才の学生の時、教会に行くようになり、主イエス様が私の罪の為に罪を背負い、罪の刑罰である十字架に私の身代わりにかかられ、罪の刑罰の死刑となって下さいました。そして三日目に甦りました。この事を心から信じるなら、私は救いを得る事が出来ると聖書は言っています。この事によって聖書は神の王国に入る、つまりこれは神の王国の福音と呼ばれています。
 私は神が霊であり、私はアダムの中にいて、霊が死に、魂中心、つまり精神を中心として、肉体を持って行き続け、ネコや犬、獣として罪しか犯す事のできない、見せ掛けの人間として生まれました。この事をヨハネ福音書3:6は明確に書いています。「肉によって生まれた者は肉です。」肉とは霊が死に、魂と肉体によって行き続けて来た、人類は肉体の欲望と精神の欲望だけに従って生き続け、その状態を聖書は肉(サルクス)と呼んでいます。
 猫や、犬のように性欲を満たし続け、金欲を満たし続け、名誉欲を満たし、精神の欲望を満たすだけの一生を送るだけの人生が人間と成り果ててしまいました。私が学校に行ったのは、一流の仕事の名誉欲の為であり、お金を多く稼ぎ、私の快楽を満たす為だけに他なりませんでした。私は獣でした。
 私は聖書を読み、その原因が創世記のアダムにある事を明確に知りました。
そして何よりも嫌なのはサタン(悪魔)の支配下に常にい続ける事でした。それが今聖書のソドムとゴモラの状態よりもさらに悪くなった人間の姿で、情欲のおもむくまま、名誉欲を満たすだけ、精神の快楽だけを満たし続ける一生が今の全人類となっています。私の家の回りに野良猫がいますが、この野良猫の一生と何ら代わらない一生を私たち人間も送っています。
 この状態を聖書は肉による歩みと呼んでいます。そして肉に従って歩み続けるなら、神の王国を継ぐ事がないと書かれています。ガラテヤ書です。

ガラテヤ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 妬み、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にも予め言ったように、私は今もあなた方に予め言っておきます。こんな事をしている者たちが神の国(王国)を相続する事はありません。
 もう一度繰り返して言います。肉とは霊が死に、神の最初の創造から堕落して、サタン(悪魔)の支配下に落ち、サタンの性質が入れられた状態の人間の事であり、罪の創始者であるサタンの性質に束縛され、支配され、肉欲の奴隷として生き続ける事を言っています。
 これが主イエス様がヨハネ3:6で言われた「肉によって生まれる者は肉です」簡単に言うなら、肉体の欲望を満たして生きている、犬や猫のような状態の人間の事です。私のブロクにもメールアドレスを残し、クリックするとポルノが出て来るのはこの肉の人を表現しています。犬や猫と何ら代わりません。これを罪と聖書は呼んでいます。犯罪の事ではなく、ハマルティアと言うギリシャ語で、意味は「的外れ」と言う事です。人間として的が外れて生きていると言う意味が聖書の言う「罪」です。
 この罪には神は刑罰を与えると書かれています。このまま死ぬなら、地獄の刑罰が待っているだけです。そんな事お前に分る筈がないと言うなら、地獄の啓示を私は多くのブロクに掲載し続けています。世界中には実に多くの人たちが地獄を見てきて、証言し続けています。
 もし人間の創造者がいて、人間が罪を犯して、裁かないのなら、神ではありません。そこには義がなく、公正がなく、公義がないのです。
 創造者、神が存在するなら、それは義であり、聖であり、公義、公正であるのです。
 ですから聖書の申命記28章には悪には呪いがある事が書かれています。
三つの呪いがあり、①霊的死の呪い、地獄に落ちる呪い。 ②病気の呪い。
③貧乏の呪い。 この三つの呪いを受ける事が書かれています。
 しかし、神は愛でもあります。創造しておいて、悪いから地獄送りでは無責任です。そこで創造者、神は人の罪を御子である主イエス様に背負わせ、このお方が人になった事により、創造者が人になったとは、人の全てをと一つ、合一する事です。そして、罪の刑罰の為に十字架の死刑になりました。
 つまり私の罪は刑罰によらなければ、無罪とはなりません。しかし、罪の刑罰とは神は死刑であると決められました。私が罪の刑罰の死刑になるなら、もはや生きる事が出来ません。しかし、私の創造者が人になられ、人と合一し、私と一つになり、私の罪の為に十字架の死刑の刑罰になられるなら、私が罪の刑罰を受け、十字架の死刑に処せられた事と同じです。
 これが2千年前のキリストの十字架の死刑であり、これが神の義の罪の刑罰であり、神の愛の行為です。この中に神の義と神の愛が現されました。もし人がこの事を信じるのなら、その信仰によって、人は罪が許される、そして永遠の命が与えられると聖書は書かれています。ヨハネ3章の御言葉
ヨハネ3:16 神は、実に、その一人子をお与えになった程に、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びる事なく、永遠の命を持つ為である。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われる為である。18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神の一人子の御名を信じなかったので、既に裁かれている。19 その裁きというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛した。その行ないが悪かったからである。20 悪い事をする者は光を憎み、その行ないが明るみに出される事を恐れて、光のほうに来ない。21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされた事が明らかにされる為である。
 なぜ主イエス様を信じる者が救われるのか?
 その理由は悪を行なう者が善を行う者になるのではありません。創世記では善悪りの知識の木からとって食べるなら、アダムは死ぬと神は仰せられました。善も罪であり、悪の罪である。ハマルティア、的が外れています。
 的はどのようにしたら、合うと聖書全巻から書かれているのか?
 それは神が霊であられるから私たちも霊となる事です。それが主イエス様の言われた言葉であり、ヨハネ3:5節の言葉です。
ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「真に、真に、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入る事ができません。3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。7 あなた方は新しく生まれなければならない、と私が言った事を不思議に思ってはなりません。8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、その通りです。」
 全人類の堕落の問題の本質は善と悪の知識によって、魂、つまり精神を中心に肉体を持って生きる事なのです。それは獣と同じ行き方なのです。
 意味は神抜きに生きる事であり、神に創造された者なのに、神と独立して自分の善を行って、神無視で行き続けるのは的が外れている、つまり罪であると聖書は言っているのです。人は聖書を良く読まなければ、善を行って何が悪いと開き直り、神抜きで、神に何も無関係に生きようとします。
 このような生き方をいくらしても、天の王国には入る事が出来ません。
主イエス様が言われた事は、ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「真に、真に、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入る事ができません。
 主は善を行う者が神の国に入ると言われてはいません。元々の創造である神は霊であり、人も霊として創造される事により、神と一致して、一つになり生きる者が王国に入る者なのです。
 神は霊です。私たちも霊として主イエス様を信じて救われるなら、新しく生まれます。
 聖書全巻から「何が生まれる」かを調べるなら、この答えが分かります。
聖書が言う、生まれるとは、神と一つに生きる事であり、死ぬとは神と分離して生きる事であると本気で聖書を読むなら分ります。
 この点の詳細はウォッチマンニー全集に詳しく書かれています。それをお読み下さい。ここでは死についての定義の御言葉を上げます。
ヤコブ2:26 魂を離れた身体が、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
 ここには二つの死、聖書の定義する死が書かれています。一つは魂と身体が分離したものは死である。二つ目は行いのない、信仰は死んでいる。

<どうすれば王国に入れるのか?> 
 最後にどうすれば、王国に入れるのかを聖書全巻から考察して見たいと思います。それには主イエス様が言われた言葉がその答えです。
マタイ7:21 私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の御心を行なう者が入るのです。22 その日には、大勢の者が私に言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』23 しかし、その時、私は彼らにこう宣告します。『私はあなた方を全然知らない。不法をなす者ども。私から離れて行け。』
 この主イエス様の答えの通りです。なぜなら、父なる神様と言えども、御言葉から外す事が絶対出来ません。もし外した瞬間に神は偽り者となり。神ではなくなってしまいます。つまり父なる神は御言葉の実にその通りに行わなければならないのです。神は御言葉と完全に一つなのです。
ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。1:2 この方は、初めに神と共におられた。3 全てのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

答えの第一は御言葉が行われる。御言葉から外れるなら、王国には入れない。
 
 さらにもう一つ答えがあります。それはガラテヤ書にあります。
ガラテヤ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるような事はありません。17 なぜなら、肉の願う事は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、その為にあなた方は自分のしたい事が出来ないのです。
ローマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。13 もし肉に従って生きるなら、あなた方は死ぬのです。しかし、もし御霊によって、身体の行ないを殺すなら、あなた方は生きるのです。14 神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもです。
ガラテヤ5:19肉の行い……こんな事をしている者たちが神の王国を相続する事はありません。
 肉とは生まれつきの性質によって生きる事であり、肉は御霊によって身体の行いを殺すなら、生きると書かれています。
 つまり第二の王国に入る答えは御霊によって生きる者です。
なぜなら、実を結ばない木は切り倒されると書かれています。御霊は私たちの中から実を結びます。
ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、様々の情欲や欲望と共に、十字架につけてしまったのです。25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

<見分け>
 これが本物か偽物かを御言葉で見分ける事が出来ます。
マタイ7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なう者が入るのです。

 結論が出たようです。主イエス様の十字架で達成した霊的事実は全て御言葉です。つまり御言葉は主イエス様の命と血によって達成したものです。その御言葉と聖霊様は一つです。その聖霊様に導かれ、指示され、禁止され、教えられて歩み続けるのなら、全能なる神である聖霊様は父の御心だけ0導かれます。つまり父の御心を行い。、御霊の実を結ぶ者となり、携挙とは収穫であり、初穂の収穫ですから、実の収穫なのです。
マタイ7:21 私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の御心を行なう者が入るのです。
 私はこのように信じています。吟味してお読み下さい。栄光在主!

11.3.11日
      真理の言葉ミニストリー 星野明義 和子     

主イエス、私は来ようとしている、パート35

   主の緊急メッセージ 私は来ようとしている。パート35

親愛なるキリストにある友人の皆さんへ
これは主イエスからの一連のメッセージ、時は遅いことを世界に警告するためのパート35です。主イエスはご自身の終末のメッセージを伝える為に私たち(サブリナ:ベルギー、スーザン:米国)を召されました。この一連のメッセージは私たちに口述(他の人たちも同様です)されたものです。
以下のこのレターは父なる神とキリスト・イエスからの大切な警告を含んでいます。どうかお読み下さって、多くの人たちに知らせて下さい。
全ての栄光と誉れが私たちの祝福された主イエスにありますように!
屋上で主の御名を叫びなさい!
キリストにあるあなたの友人
サブリナ jan.sabrina@pandora.be とスーザンkidsmktg@sbcglobal.net
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レター第65、2011年1月10日、父なる神とキリスト・イエスによって与えられスーザンに口述されました。
スーザンよ、今からあなたに語る情報をみんなに流して下さい。
これが私の言葉です。
その時が近づいている。そして、世界は変化しつつある。注意深く聴きなさい。あなたにとってこれは初耳の事です。私の息子は地球に近付いています。彼は白い美しい鳩に乗ってやって来つつあります。彼は風に乗っています。彼の美しさは比べるものがありません。私は彼を大いに愛しています。私は彼の父です。スーザンよ、これらをノートを取って下さってありがとう。さあ、これを書き留めなさい。
すぐ、世界は揺さぶり(shaking)を耐え忍ぶ事になる。揺さぶりがさまざまの場所に発生する。人々は気をつけるがよい。私の激怒によって私は世界を揺さぶる。それを芯まで揺さぶる。私の揺さぶりに人々は持ち堪える事はできない。私の鼻から出す煙で地球を破壊する。私は地球上に熱くまた冷たい火と雨を降らせる。襲い来る災難によって世界は荒涼とした場所となる。
私は怒れる神である。人々の為に死に、彼らの惨めな罪深さの為に死んだ私の息子、私の貴い息子を無視する人々に私は激怒している。
人々は、私が戯れ事をしていると考えている。私が存在しないとも考えている。これはゲームだとか、私のことはジョークだと思っている。間もなく、そのジョークが彼らに襲いかかるなら、笑い事ではなくなろう。泣き喚き、懇願し、自分たちの選択の間違いに悔しい思いをするだけだ。
これらの人々がこれまで私から遠く離れているのが残念である。私が存在さえしないとさえ彼らは考えている。私は彼ら以上にリアルである。彼らは塵だ、短命な肉だ。彼らへの寛容も間もなく終わる。私と私の貴い息子と私の聖霊への見解は私から見れば腐っている。
悔い改めて私の麗しい息子の血を受け入れる為のあらゆる機会を与えたが、それも地面にこぼれ落ちた。彼は死にかかった罪深い民を救う為に全てを与えた。何という勇気ある行為である事か。何という力強き行為である事か。何という同情と純愛の行為である事か。そのような愛は人類には理解できない。一人の神が偉大さから降りて自らを卑しめた事は、死ぬべき者たちに理解されない。これを計り知る事はできない。これは理解し難い愛の輝きの時。それは完全には理解できない愛。父なる私だけがあなたに言う事ができる、私の息子が何をしたかは私が知っていると。彼が沈んだ深みを私は知っている。彼は、堕落して失われた者たちではあっても、失われた民を救う為に、彼は驚くべき同情に満ちていた。これが愛である。人間は愛を知っていると考える。知らない。愛を知る事は上から来る。愛とは神である。その理解は神聖にして純粋な聖なる神によってのみ与えられるものだ。

私が全ての人を見ていることをみんなに知って欲しい。一人一人の立ち居振る舞い、心の奥深くに秘めた小さな秘密でも、私は全て知っている。密室の動きであれ、全てを私は見通している。人々の中に隠されたものでも私は知っている。私はそれを見ている。私は神、エホバである、誰一人私から隠れる事はできない。
神、イエスの父なる私は我が聖なる名に対して極めて無礼な地球の住民に立腹している。私の純粋なまた聖なる息子、彼が自分の命と血とをあなたに与えたのだが、彼の犠牲を全く無視する者に対して私は激しく怒っている。
私は私の民とイスラエルを滅ぼそうとする試みに怒っている。私の言葉は明確である。もし私の民とその地に触れるなら、それは私が彼らに与えたものだ。お前は禍である。私が聖なる契約を結んだこれらの民を滅ぼそうとするなら、私がお前を滅ぼす。私が契約を結んだ私の民の聖なる地に触れる者は誰でも滅ぼされる。私は自分の言葉に忠実ではないだろうか?私は神である。私の契約を私は忘れない。たとえ人が長い間忘れていようとも、私は覚えていて、自分の契約を守る。
今、我が民を害してその地を切り裂く者たちには、大いなる悲しみ、復讐、火を放つ。それが起こる。私は理由なしに滅ぼすことはしない。私は自分の警告についてはっきりしている。我が契約の地と契約の民に触れてみよ、お前は破滅を見ることになる。私の怒りがお前の上にある。それは私の言葉に書かれている。私がこれらの言葉を書いた。そして、私の聖なる書は明快である。世界は我が契約の民から我が契約の地を引き裂くと決定したことを後悔するであろう。たとえ人間が自分の約束を忘れようとも、神である私は決して忘れない。
来らんとする事に関する明確な警告としてこれを立てよ。死と破滅。悲しみと後悔が訪れる。お前が悪を選んだから、お前が私に背いて選んだから、お前が私の息子を拒絶したから、お前が私の霊を受けることを拒否したからだ。お前は悪を選んだ。お前は神を拒絶した。
お前は警告を受けてきた。私の言葉は明確である。それは、明確に述べられ、お前の前に提示されている。お前の狂気の結末。私の民は立つのだ。お前がばらばらに置いたものは、お前自身の地にばらばらに置かれるであろう。神聖なる契約の下にあるものをお前が分割するなら、お前が分割を経験するであろう。そうなる。
私はお前の悪に構ってはおれない。お前は自分がしている事を知っている。そして、お前の選択がお前の破滅となる。
神なる私、私である が語った。
私はヤーウエである。
天からの火
これらが私の言葉である。
恐れて震えよ。
それから、父なる神はご自分の言葉を確認するために以下の御言葉を下さいました。
詩篇第89篇 1 主よ、私はとこしえにあなたのいつくしみを歌い、私の口をもってあなたのまことをよろずよに告げ知らせます。2 あなたのいつくしみはとこしえに堅く立ち、あなたの真は天のようにゆるぐ事はありません。
3 あなたは言われました、「わたしはわたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓った、4 『私はあなたの子孫をとこしえに堅くし、あなたの王座を建てて、よろずよに至らせる』」。〔セラ
5 主よ、もろもろの天にあなたのくすしきみわざをほめたたえさせ、聖なる者のつどいで、あなたのまことを褒め称えさせて下さい。6 大空のうちに、誰か主と並ぶものがあるでしょうか。神の子らのうちに、誰か主のような者があるでしょうか。7 主は聖なる者の会議において恐るべき神、そのまわりにあるすべての者にまさって大いなる恐るべき者です。8 万軍の神、主よ、主よ、だれかあなたのように大能のある者があるでしょうか。あなたのまことは、あなたをめぐっています。9 あなたは海の荒れるのを治め、その波の起るとき、これを静められます。10 あなたはラハブを、殺された者のように打ち砕き、あなたの敵を力ある腕をもって散らされました。11 もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとはあなたがその基をおかれたものです。
12 北と南はあなたがこれを造られました。タボルとヘルモンは、み名を喜び歌います。13 あなたは大能の腕をもたれます。あなたの手は強く、あなたの右の手は高く、14 義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、16 ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。17 あなたは彼らの力の栄光だからです。われらの角はあなたの恵みによって高くあげられるでしょう。18 われらの盾は主に属し、われらの王はイスラエルの聖者に属します。19 昔あなたは幻をもってあなたの聖徒に告げて言われました、「わたしは勇士に栄冠を授け、民の中から選ばれた者を高くあげた。20 わたしはわがしもべダビデを得て、これにわが聖なる油をそそいだ。21 わが手は常に彼と共にあり、わが腕はまた彼を強くする。22 敵は彼をだますことなく、悪しき者は彼を卑しめることはない。23 わたしは彼の前にもろもろのあだを打ち滅ぼし、彼を憎む者どもを打ち倒す。24 わがまことと、わがいつくしみは彼と共にあり、わが名によって彼の角は高くあげられる。25 わたしは彼の手を海の上におき、彼の右の手を川の上におく。26 彼はわたしにむかい『あなたはわが父、わが神、わが救の岩』と呼ぶであろう。27 わたしはまた彼をわがういごとし、地の王たちのうちの最も高い者とする。28 わたしはとこしえに、わがいつくしみを彼のために保ち、わが契約は彼のために堅く立つ。29 わたしは彼の家系をとこしえに堅く定め、その位を天の日数のようにながらえさせる。
30 もしその子孫がわがおきてを捨て、わがさばきに従って歩まないならば、
31 もし彼らがわが定めを犯し、わが戒めを守らないならば、
32 わたしはつえをもって彼らのとがを罰し、むちをもって彼らの不義を罰する。33 しかし、わたしはわがいつくしみを彼から取り去ることなく、わがまことに背く事はない。34 わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変える事はない。35 わたしはひとたびわが聖によって誓った。わたしはダビデに偽りを言わない。36 彼の家系はとこしえに続き、彼の位は太陽のように常にわたしの前にある。37 また月のようにとこしえに堅く定められ、大空の続くかぎり堅く立つ」。〔セラ 38 しかしあなたは、あなたの油そそがれた者を捨ててしりぞけ、彼に対して激しく怒られました。39 あなたはそのしもべとの契約を廃棄し、彼の冠を地になげうって、けがされました。40 あなたはその城壁をことごとくこわし、そのとりでを荒れすたれさせられました。41 そこを通り過ぎる者は皆彼をかすめ、彼はその隣り人のあざけりとなりました。42 あなたは彼のあだの右の手を高くあげ、そのもろもろの敵を喜ばせられました。43 まことに、あなたは彼のつるぎの刃をかえして、彼を戦いに立たせられなかったのです。44 あなたは彼の手から王のつえを取り去り、その王座を地に投げすてられました。
45 あなたは彼の若き日をちぢめ、恥をもって彼をおおわれました。〔セラ
46 主よ、いつまでなのですか。とこしえにお隠れになるのですか。あなたの怒りはいつまで火のように燃えるのですか。47 主よ、人のいのちの、いかに短く、すべての人の子を、いかにはかなく造られたかを、みこころにとめてください。48 だれか生きて死を見ず、その魂を陰府の力から救いうるものがあるでしょうか。〔セラ 49 主よ、あなたがまことをもってダビデに誓われた昔のいつくしみはどこにありますか。50 主よ、あなたのしもべがうけるはずかしめをみこころにとめてください。主よ、あなたのもろもろの敵はわたしをそしり、あなたの油そそがれた者の足跡をそしります。わたしはもろもろの民のそしりをわたしのふところにいだいているのです。
51 (50節に合節)52 主は永久に褒むべきかな。アァメン、アァメン。

11.2.9日
      真理の言葉ミニストリー 星野明義 和子

主イエスの携え上げ預言、パート34

 主イエス様の緊急メッセージ、パート34
「私は来ようとしている。」パート34
http://end-times-prophecy.com
End-Times-Prophecy.com JESUS WILL RETURN … SOON
☆ 上記終末預言.comサイトを翻訳したものです。(星野)

親愛なるキリストにある友人の皆さんへ
 これは主イエスからの一連のメッセージ、時は遅いことを世界に警告するためのパート34です。主イエスはご自身の終末のメッセージを伝えるために私たち(サブリナ:ベルギー、スーザン:米国)を召されました。この一連のメッセージは私たちに口述(他の人たちも同様です)されたものです。

 このメッセージにはキリストからサブリナに語られた二つのメッセージがあります。それと、主イエスからスーザンに口述された二つの部分からなるレターが含まれます。また、東氏には本レターを翻訳に多大の時間を費やして戴き感謝します。新しいリンクが追加されました。サブリナ姉妹は「後に残された人々」のリンクを追加しました。Word doc(ワード・ファイル)もダウンロード可能です。以下に、「救いの段階」レターのリンクが新しく追加されました。フィリピンの友人ジュードはさらに三つの小冊子を追加しました。これを印刷し配布ができます。ジュード氏には感謝します。同時に彼の働きを神様が祝福して下さいますように!

 私たちの友人トム・ヘール氏がビデオ形式の主からのレターをyoutubeチャンネルで公開して下さっています!トム氏の素晴らしい仕事に感謝します。これまでにもいくつかをyoutube上に載せて下さっています。また、とても良い曲が含まれています。彼の働きにはとても感謝します!申し込んでおけば、新しいビデオが掲載されるとあなたのところに通知が行きます。(私、スーザンは主からの言葉を戴きましたが、それは新しい門が開かれる、という事でした。そのすぐ後でトム氏からyoutubeビデオを開設したとのメールがありました。驚きです。)(訳注:本文にはこのすぐ下にyoutubeの画面が二つ貼り付けられている。パート1とパート33)
http://www.youtube.com/user/endtimevids?feature=mhsn

 獣の刻印は極めて深刻な問題ですから、サブリナ姉妹が獣の刻印についてのいくつかの疑問に対する答えを主から受けていますので、その言葉をここに掲載致します。(私、サブリナがそれをオランダ語から英語に翻訳しましたが、文法上問題がありましたらお赦しください。)

 チップは受けたくないけれども、それを強制された場合にはどうすればよいか?赤ん坊、幼児から十代の子たちの場合、両親が彼らの事を法的判断をする事になる。この場合、彼らの意志とは関係なく受ける事になるが、このような場合はどうなのか?彼らは地獄行きか、それとも救われるか?

「私の血はサタンのチップ計画よりは遙かに強力です。人が自発的にチップを拒否できないなら、そして、その人の中に私の血を見るなら、私がこの人に対するチップの効果を全て掃き捨てます。私は今でも人の心を見ています。私は体内にチップをインプラントする事が何であるか全く知らない赤ん坊や幼児たちを地獄に送る事はしません。それは改心と同じです。その時から、子供たちは自分たちの天の父を知るようになり、私の為の最善の選択をする事ができます。また、同時に、このチップについても選択できます。責任感の十分にある両親なら、自分の子供たちへのチップインプラントは許さない筈です。この子供たちが強制的に、最悪の場合縛られてチップを受けた場合でも、私は彼らの心を見ています。彼らが私を呼び求めて基本的にそれを拒否しているのなら、私は彼らを救います。私は今でも人の心を見ているのです。私の言葉、私の聖なる言葉の知識があって、このチップを受ける大人の場合、彼らは全てが失われます。ですから、私の花嫁の一部となって携え上げの準備ができている事が大切です。その時にはこんな選択をする必要はありません。遅れたとは言え、携え上げが近づいています。私は人の心を見ています。だから、誰かが現在、私に完全に明け渡しているなら、問題は何もないのです。携え上げの後に明け渡しを遅らせてしまった人々の場合、チップの移植は強制的となっていますから、私に心を明け渡す者は極く少数です。しかし、彼らが無理矢理にチップを受けた場合、私の血のゆえにチップはパワーを失います。だから、私の来臨の為に用意している事が重要です。見なさい、私は来ようとしています。用意をしていなさい。あなたのイエス

 下に、Warning:(警告)というタイトルのリンクがあります。獣の刻印についてもっと詳しい説明があります。人の手に挿入されるチップの写真掲載あり。私(サブリナ)がWordfileを持っていますので、プリントアウトなさりたい方はメールをください。
 もう一つ「重大な警告」というリンクがあります。「チップを受けてはいけない」お読みになれば驚くべき情報があります。
すべての栄光と誉れが私たちの祝福された主イエスにありますように!
屋根の上で主の御名を叫びなさい!
キリストにあるあなたの友人
サブリナ jan.sabrina@pandora.be とスーザンkidsmktg@sbcglobal.net
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2011年1月9日(日曜日)にイエス様からサブリナに口述されたレターです。

「私の娘よ、これが私の言葉です。書き記しなさい。
 我が愛しき教会よ、私がどれほどあなたを愛している事か。私はとりわけ、誰をも、とても愛している。自分の時間と人生を私に捧げた者たちを励ましたいと思う。その事を私は非常に感謝している。また、その人が真剣に私を探し求める程度に応じて報いる神である事を私は知っている。これが私の正義である。誰でも私の心と私の言葉への忠誠さに対して、私は報いを与える。

 もう少しばかり忍耐して貰ってもよいであろうか? 私、神はあなたをここ地球上にもうちょっとの間残しておいた。時間がない。あなたがこれを何度も聞いて来たのを私は知っている。しかし、私、神は地上のあらゆるものを見てあらゆる事を実行している。あなたは外観だけを見る。私は全世界を見ており、特に一人一人を見ている。現在、多くの者たちが悔い改めて、私の言葉を用いて真剣になって警告を発しているのを私は見ている。地獄は幻想ではなく現実である。私イエスを拒絶する者たちや、私の聖霊様を軽蔑したり拒絶したりする者たちにとっては行くべき当然の場所である。
 だから、我が愛しの教会よ、我が最愛の花嫁よ、来たらんとする時の為に勇敢であって強くありなさい。世にある私の光でありなさい。その光もすぐに見えなくなる。私の花嫁はいつも私の光を見ており、それを私から照らし出す事、これが世における彼女の任務である。彼女は私の証しである。あなたはいつも私の保護の血の下におり、また活動している事を悟りなさい。何ものもあなたに危害を加えたり傷を負わせることはできない。敵は、殺すぞ、と人を脅したり叫んだりする事ができるだけである。
 私の子供たちの多くはこの地球上では愛されない。彼らは社会にとって脅威なのである。この社会は敵によって支配されている。敵は花嫁を無能にする為ならどんな事でもする。しかしながら、私の血は敵のパワーや集団より遙かに強い。日々、あなた方の祈りによって、その敵を放り投げなさい。敵に言いなさい、お前のパワーは主イエスの貴い血によって破壊されたのだ。これは私を知る者たちが、特にこの時、毎日、しなければならないことの一つである。
 暗闇がこの惑星を覆う。かつてない深く厚い陰うつな暗闇。それゆえ、私の花嫁よ、私の貴い血によって自分を守りなさい。悪しき者たちとその企みから救い得るものは唯一それだけである。私はあなた方全ての為に私の血を流した。それを用いるのはあなた次第である。私の血は決してそのパワーを失う事はない。勇敢で強くありなさい。そして、世から驚かされないように、目と耳を開いて祈りなさい。
 この社会はあらゆる者あらゆる物や事をそのコントロール下に置く為に動いている。これは敵とその軍によって徹底的に考案された世界システムである。多くの者たちが彼の影響下にある。多くの者たちは私を知らない。だから、彼らはこの敵のシステムを世に普及させるために広く利用されている。それは奴隷制度である。私の花嫁よ、大きく目を開けて祈りなさい!世とその影響に驚かないように。獣の数字(訳注:666、黙13:18)が今の流行なのである。
 よく聞きなさい、誰でもこの数字を受ける者は私の王国に入る事はできない。(訳注:黙14:9-10、19:20)子供たちは例外である。しかし、誰かこの数字の事を知っていて私の言葉を無視する者には救いはない。この事を人々に警告しなさい、私の花嫁よ!あなたは私の言葉を知っている!人々に警告しなさい!印刷して配りなさい。連絡手段は十分にある。毎日、人々はこの悪魔のシステムによって失われている。聖書をよく読んでいるなら警告は不要。しかし、私を知っている者たちでも私の言葉のこの部分を無視する者がいる。
 だから、私の最愛の花嫁よ、人々に通知しなさい。前任者か牧師に通知しなさい。隣人、友人、知人、親類に通知しなさい。と言うのは、このシステムはすぐにも世界中で採用されるからである。既に現在でも大規模な分野で実験的に実施されている。私の父の恵みは偉大である。父の願いは一人の人も失われない事である。それでも、毎日何千何万の人々が地獄に落ちている。地獄は毎日拡大している。私の子供たちは関係ない、という事は断じてない!私はこの世に生まれ出る一人一人の為に究極の犠牲を達成した。しかし、皆が自分の創造主を知ってはいるけれども、大部分は彼らの神、即ち自分たちの創造主なしで生きている。

 私は義なる神。私は私の血を、私の貴重な血を流した。全面的に私に服する時、あなたに私との自由な接触を可能とした唯一の血である。私の血を呼び求めよ!それはまだ有効である。いったん私が私の花嫁を連れに来たなら、恵みの期間は終わる。あなた方の何人かは私が居ると思って私を呼び求める、その間、彼らは神なしで自分たちの生活を送る事になる。今夜、敵があなたの命を奪ったなら、どうするのか? それから? 愚かであってはいけない。賢明であって、私の聖霊様によってあなたに与えた私の言葉によって生きるのだ。地球上であなたと毎日共に生きるようにと、私の霊を遣わしている。彼が愛情を込めてあなたを彼の心に引き寄せる時あなたは彼を拒んではいけない。それを拒むなら、それはあなたが犯す事のできる中で最も悪い罪である。もってのほかの罪である。今はまだ恵みの時、だから、私の子供たちよ、来なさい。来るのだ!
 私はあなたが永遠に私に仕えるように、あなたを私の天の王国へと招いている。私が準備してあなたを待っているところの栄光についての何らかの心あたりがあなたにありさえすればよいのだ。多くの者が既にこの壮観と輝きを味わっている。しかし、まだこれは決定的ではない。それでも、人々は地獄と天国の情報全ては先ず私の言葉にあり、次に多くの追加された証しがあるにも関わらず私を拒絶している。私はとても情愛深い神である。天におられるあなた方の神の為に身代わりの犠牲として私はあなた方全ての代わりに死んだのである。それはあなたが私の血によって私の王国に入るのを彼が許して下さるためであった。
 私の父は私の血を拒絶する事に驚いておられる。すると、地獄があなたの最終の行き場所である。そこは恐怖、暗闇、苦しみ満ちた永久の場所である事を知るがよい。私を選ぶのだ。私はあなたを愛している!私は私の愛と創作力を尽くしてあなたを創造した。あなたの創造者を拒絶してはいけない!『私はイエスである』はあなたのためただ一度捧げられた犠牲である。だれがそれを受けるであろうか?」

ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に
来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
申命記31:6 あなた方は強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられない。」
黙示録13: 16-18 16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
エペソ1:7 私たちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血による贖い、即ち、罪過のゆるしを受けたのである。
ヘブル9:14 永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
________________________________________
エス様からあなたに与えられた第64の手紙、パート1、 2011年1月6日、
スーザン(米)よ、以下にこれらの言葉を記しなさい。
私は世界に新しい変化をもたらします。変化が起ころうとしています。世界は世界の救い主である私に対する大きな疑問を持っています。私は人々に、私が彼らの主である事に気付いて欲しいと思っています。私は私の手を彼らの方に伸ばしています。私は辛抱強く待っています。彼らは私から遠く離れています。
 私は新しい世代を、即ち、次の時代に、私と一緒に支配し統治する私の子供たちを起こすつもりでいます。これが私の花嫁です。彼らはこの人生において、自己に死に、世と世の習わしを拒絶することを選んだ者たちです。彼らは聖を愛しています。純粋さを愛しています。完全を切望しています。彼らは私が選んだ者たちです。
 私と一緒に家まで連れて行こうとしているこの花嫁は、愛し保護する為にいつも私のそばにおらせます。彼女は準備されつつあり、永遠へと、次の時代へと踏み出す用意がなされつつあります。私の愛しい花嫁にとって何と栄光ある瞬間である事よ。天ではみんなで彼女が私のところに来るのを待ち望んでいます。私の花嫁が私と一緒に天に戻る時、大いなるファンファーレが鳴る事でしょう。私の花嫁と彼女を愛しまた忍耐深い主である私を通しての彼女の完全な幸福を見るその瞬間が私は待ち遠しいのです。彼女は私のもの、そして、私は彼女のものです。私たちの間には、まあ、どんな愛がある事か。彼女は私に全てを捧げ、私は彼女を大切にしています。私は彼女と一緒にいる時間を切望しているのです。彼女は素晴らしい。

 私は私の愛らしい花嫁が好きです。私は彼女を通して動きます。私は彼女を通して働きます。世は私の子供たちの生活を通して、私の本当の教会を通して、私の花嫁を通して私を知っています。彼女は愛らしく、へりくだっていて、従順です。彼女は世とその全ての悪を嫌悪します。彼女は善良、完全、純粋さ、聖である事を競っています。彼女は見識が高い。私は私の花嫁を敬愛します。私は私の花嫁を完成します。私から離れては彼女は無です。彼女を他から引き離して彼女の王子、その王、その王なる夫である私へと連れて来るという、彼女の生活の中における私の聖霊様の働きゆえに彼女は麗しいのです。私は彼女のもの、そして、彼女は私のもの。私たちの愛は終りがなく比類がない。私たちの愛は偉大そのもの。私の目は彼女の方だけを見ています。私の彼女への愛は、私をして彼女のあらゆる必要に焦点付けさせる。私は彼女の保護者、慰め主、救い主、回復させる者。私は彼女に愛される者、彼女の愛しき者。

 私たちの事は地の礎が置かれる前からラブストーリーです。私の花嫁を私は知っていました。私は彼女の為、彼女を救う為、そして、彼女を祝福して永遠に私自身のものとする為に、彼女のために死ぬ事に着手したのです。
 私のものとして選ばれた私の子供たちの間にいなさい。私はいつもあなたを愛する。あなたが私を必要としている事は、あなたも知っている。私か離れてはこの人生を生きる事ができない事をあなたは知っている。今、私のところに来なさい。そして、私があなたに与えるために私の所有するすべてを今あなたに提示しているのであるが、それを受けるのだ。私の王国、これはあなたのものである。麗しさを、永遠なる愛、私の父へのアクセス(接触)を受け継ぐのだ。あなたを愛する神はあなたの理解を超越している。
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エス様からあなたの為に口述された第64の手紙パート2、2011年1月9日
はい、スーザン(米)よ、私に言葉があります。
 世界がバラバラに壊れようとしています。多くの変化が起ころうとしています。人々は先を見る事ができません。しかし、全能の神なる私には何が起こるか分かっています。私は先を見ています。私は来るべき人間歴史のこの部分を知っているのです。
 身の毛がよだつほどに恐ろしい時がやって来れば、多くの者たちは泣く事になる。すべてが真っ暗になる。多くの者が空気が変わったと感じる。私の子供たちは知っている。分かっている。理解している。私の子供たちには私が来るべき時を知らせるから、彼らは不意を突かれる事はない。私の花嫁がびっくりするような事は全くない。残念ながら、世界は来たらんとする邪悪な者たちからの一斉攻撃を受ける。しかし、世は私を、神を、世界の主を見る事も、注意して見る事も、待ち望む事も拒絶している。世は私、即ち世界の神以外のあらゆる方向に向かって答えを求める。私は未来を知っている。私は知っている者である。だから、私は今、準備するようにと知らせているのである。見張っていよ、目を覚ましているのだ。変化は遠くにあるのではない。速かに来る。私の民は不意打ちを食らうことはない。目を覚ましている者たちは準備ができており、保護されており、来たらんとする事から逃れ得るからである。
 世界は重大な変化に向かっている。悪が全力で、あなたを圧倒する威力は万全であって、それは如何なる守備、防衛も押し流してしまうほどの威力を持つ。ある日、世界が同じではない事に気が付いてハッとするであろう。災難とカオスが普通のこととなろう。悪魔の計画を受け入れるのを拒否するなら、人々は行きたくない場所に連れて行かれる。その時こそ「クリスチャン」と称する者たちにとって最悪の時である。
 あなたは準備されたいと思うかね、じゃあ、今、私に従うのだ。私が入り口、即ち安全、救い、救出の入り口である。私だけがその入り口である。あなたは友人や隣人に対して、今救われる為に私へと転機するように言わなければならない。あなたの神に徹底的に、完全に明け渡して、救われよ。あなたの罪を悔い改め、聖なる神に罪を犯した事に対して真摯な深い懺悔の気持ちを示すのだ。そうすれば、カルバリで流された私の血があなたを救う。他の場所で答えを求めてはいけない。さもないと、あなたは失われる。失われて私の敵の手に落ちる。

 残り時間は殆どない。私はこの世代を、失われた魂たちを待っている。あなたは自分の道、楽しみ、富、知識を追求している。しかし、真理を求めない。真理に関心がなく、真理を評価しない。むしろ、真理以外のものを大事にしている。
 もし、真理が欲しいなら、鹿が干上がった川で水をあえぎ求めるように、切に私を求めるがよい。私がその川である。命の、永遠の真理の川である。また、いつまでも、いよいよ豊かに流れる川である。私に、私の流れに、私の真理に来るのだ。私を尋ね求めよ、見出されよ、救われよ、真理の方を向いて幸いに生きよ。あなたの人生を正しい方向、私の意志の方に向いた生き方をせよ。
 私の忍耐を試みるこの世代にはうんざりだ。過去において、私の被造物が私から永遠の別離に至らぬよう多くの由々しき悪から私に戻ることを望みつつ忍耐したことを私は思い出す。あなたの神から永遠に遠くに運び去られることを想像してみるがよい。これが地獄である。そこは私が私の子供たちの生活の要素ではない場所である。私は永久に切り離される。あなたは永遠に私から失われる。あなたの罪を悔い改めよ、あなたの罪を悲しむのだ。そうすれば、あなたの罪を赦すに吝(やぶさ)かではない。私たちは永遠に共に生きることができる。私は偉大なる「私はある」である。親切と愛はあなたのもの、真理もあなたのもの。時は終わろうとしている。準備をするのだ。私が到着すると、私と共に行くのを切望している私の子供たちを探すからである。
エホバ ラファ(癒し主)  愛する神  十字架から栄光までのイエス
主は次の節を追加するように言われました。
エレミヤ3:3: それゆえ雨はとどめられ、春の雨は降らなかった。しかもあな
たには遊女の額があり、少しも恥じようとはしない。
以下の御言葉を追加しました。
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詩篇42: 1: 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
黙示録22: 1: 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、
☆私は約4年間に渡り、リンダ預言を読み続けて来た。そのネットの管理者がカナダのジェシー兄であり、昨年の秋からこのサイトをご紹介下さった。
 それから、私はスーザン姉妹とサブリナ姉妹とメール交換している。
 日本ではなぜか、私が全国配布している。
11.2.8日
      真理の言葉ミニストリー 星野明義 和子    

主イエスの携え上げ預言、パート32

主イエスからの緊急のメッセージ
「私は来ようとしている」(パート32)
http://end-times-prophecy.com
End-Times-Prophecy.com JESUS WILL RETURN … SOON
☆上記終末預言サイトを翻訳したものです。
スーザン姉妹とサブリナ姉妹、二人の証人による確認預言です。

親愛なるキリストにある友人の皆さんへ
これは主イエスからの一連のメッセージ、時が遅い事を世界に警告する為のパート32です。主イエスはご自身の終末のメッセージを伝える為に私たち(サブリナ:ベルギー、スーザン:米国)を召されました。この一連のメッセージは私たちに口述(他の人たちも同様です)されたものです。
パート32において、皆さんへの最初の手紙はイエス様によってスーザンに口述されました。それから、サブリナも皆さんの為の手紙を主から受け取りました。私たちの友人トレーシーが主から受けた警告の言葉を掲載しております。
主が間もなく戻られるという主題は多くの人々の心から最も隔たったものです。しかし、これらの手紙を読んだ人たちからたくさんの連絡を頂きます。それによると、終末のビジョンや夢を見たというものです。多くの人たちが主から同様の言葉を聞いておられるのです。その人たちの多くが子供たちです。子供たちは時々主が用いられる最も良い目撃者であるのです。また、世界中で起こる、信じられないような出来事に関するメールも多く寄せられます。このメッセージのテーマは唯一の望みであるイエス様に転機する事であり、目前に迫った事柄の為に用意を整えることです。
ご注意:本メッセージと一緒に五つのリンクを張っておきました。一つは私たちの友人であるフィリピンのジュード(Jude)さんによる案内書形式の主からの手紙と、他の私たちのパートナーのリンクです。他言語にも翻訳してみんなに拡散して下さい。
全ての栄光と誉れが私たちの祝福された主イエスにありますように!
屋根の上で主の御名を叫びなさい!
キリストにあるあなたの友人
サブリナ jan.sabrina@pandora.be とスーザンkidsmktg@sbcglobal.net
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第61番目の手紙(2010年12月29日):この手紙はイエス様からスーザンに口述されました。
スーザン、あなたに言葉を与えます。
スーザン、今は私が我が民の前に来て、これらの言葉をもたらす最後の時です。私はあなた方を納得させようとして来た。私は懇願して来た。私は考えて来た。私が言っている事を信じる理由を次々とあなた方に与えた。私の言葉は明瞭である。私は誠実な神である。私は本当の事を言っている。私はあなたの前に来て真理を語ってきた。あなたは片眉(かたまゆ)を上げもしないし、瞬(まばた)きもしない。あなたは信じない。あなたにはあなたの理由がある。生活は正常であるように見える…物事はうまく捗(はかど)っている・・・気にする理由もない…生活のパターンを変える理由がない…悪い振る舞いの事で涙を流す理由はない…あるいは聖なる神の前でへりくだる理由はない…この世的な歩みを悔い改める理由もない…いつも考えている事から違う考え方をする理由はない…人生はいつものように進行している…我々はただ成り行きに任せているのだ…
私の子供たちよ、私に言わせて欲しい。私、神はこの世代にうんざりした。これ以上あなた方に我慢ならない。臭くて鼻に衝く。あなた方があらゆる罪に支配された行動に没頭しているのを見ると、私は吐き気を催す。もうこれ以上許容する事はできない。この世とその極めて理不尽な悪行をこれ以上傍観している事はできない。
おぞましい。私は我慢できない。あなたに届くにはどうすればいいのか?神を拒絶し、圧倒的に悪を愛する、失われて死にかかった世代に達するには、私はどうすればよいのか?この不貞の輩(やから)の為に、もうこれ以上私の花嫁を待たせておこうとは思わない。彼らの神に殆どか全く関わりを持たない者たちは私にとって悪臭である。 私はあなたを吐き出そう。 私の言葉はこれについてはっきりしている。私、神が自分の言葉を守らないと思って欲しくない。私は愛する、私は祝福する、私は供給する、私は癒す。しかし、私の民よ、私があなたの創造者に対するあなたのなまぬるい姿勢に対して時間がない、と言う時にも、私は真理において一貫している。私は真実である。最終的にあなたが私と顔と顔を会わせる時、あなたは永遠に私と分かれる事となるのである。あなたを私と一緒に天にある私の美しい家に連れて行く事はできない。あなたはその中に入る事はなく、その一部になる事さえないのだ。あなたは天の壮大さを目撃する事は決してない。あなたは外の暗闇にいて、情愛深い、優しい神から遠く、遠く離れて苦しむのである。これはきつい言葉である。しかし、それが私の真理である。いずれ、こういう事になるのである。

私の王国に通じる私の道は非常に狭い。それを見出す者はほんのわずか。なぜあなたは尋ねるのか?私の王国へと至る道は完全な明け渡しが必要である。あなたは悔い改め、あなたの生活プランを全て私に与え、全てを私に与えなければならない。私があなたの存在の中心焦点でなければならない。これは無理な要求のように見えるかね?私は神である。私はあなたの肉の中に命を吹き込んだ。そして、今あなたは存在しているのである。私がそう考えたから、あなたは存在しているのである。私は、あなたが自分を知っているよりも、もっとあなたの事を知っている。だから、今、あなたの神に対して完全に明け渡すという私の要求を信じなさい。無理な注文だろうか?あなたができる以上の事を、あなたの主なる私が求めていると、あなたが本当に考えるのなら、あなたの命は間違いなく私から遠く離れる事になろう。あなたにその自由を与えよう。自分の行く道を選ぶがよい。私の敵に従って行くがよい。彼はあなたを広い道に誘って地獄に至るのである。これがあなたの選択であって、あなたの選択した通りになる。あなたが私から離れ去る事を許そう。そして、私の敵の後について行く事に決定したのである。
もしあなたがその方向に行くのなら、私に言わせて欲しい。あなたが永遠に私から離れた時、何が起こるか。あなたの人生は全て良しと考えても、その全てが蒸発してしまうのだ。あなたは愛、望み、平和、親切、そして、私の麗しさを知る事は決してないであろう。その代わりに、あなたが受けるものは恐怖、苦痛、戦慄を受ける。これが地獄である。殆どの人々が行く所である。狭い道を見出すものはほんのわずか。私が狭い道である。美、完全、平和、愛、希望に満ちた私の王国へと至る狭い通路に通じる道が私である。
私の花嫁は細い道を知っている。彼女は私にだけ従い、私即ち彼女の主また主人だけを礼拝する。彼女は私と一緒に安全地帯へと来る。私は彼女を保護し、彼女を愛し、永遠に彼女の安全を守る。彼女は後悔を知る事は決してない。彼女はいつまでも、彼女の夫である私に満足する。私、イエスは彼女の恋人であり、彼女を常に、また、いつまでも愛する。私たちはいつまでも私の王国を共有する。それは壮大であって素晴らしい事。私の心の場所であるこの場所に来る者はほんのわずか。私を見つけて、私を自分の世界の中心に置く者はほんのわずか。これを行う者は失望を知る事は決してない。彼らが世の損失を被ることは永遠の王国、即ち私の王国を獲得する事。
あなたの永遠の存在という結末を自分で選ぶ機会があなたに与えられている。私の子供たちよ、永遠は決して終らないのである。あなた自身を永遠に私の世界、即ち私の王国の外に置かないようにしなさい。あなたの全存在を今、私に明け渡しなさい。時は急速に消えて行きつつある。私を見出すのだ、そして、自分を見出すのだ。
私の忍耐がすり減ってきた。間もなく時間切れとなる。もし、あなたが私に背いた選択をするなら、私はあなた置いて去る事になる。私はいつも私の言葉に真実である。私は変わらない。私の言葉は真実。
私を愛して生きる。私の道が嫌いで常に私から離れて生きる。あなたが決めるのだ。私はあなたを愛している。私の方を選びなさい。私はあなたの造り主であって、私の永遠の喜びの為にあなたを創造したのである。しかし、あなたは私と一緒に居たいと願わねばならない。 「私である」が語った。
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2010年12月30日にイエス様からサブリナ(ベルギー)に口述された言葉
「私の民よ、みな私の言う事を聞きなさい。「私である」が話しています。なぜ、あなたは私を見捨てるのか?なぜ、あなたはそのなまぬるいライフスタイルを続けるのか? なぜ、神なる私があなたにとって十分ではないのか? 私があなたの為に十字上で死んだ時、私にとってあなたは十分良かった。あなたは私を知ってさえいなかった。あなたは存在していたが、この世界にではなかった。あなたは私によって既に創造されていた、あらゆるものが私によって創造されていた。その時、あなたは私を知らなかった。あなたが私を知るようになったのは、私があなたをこの世界に送り込んで間もなくの事であった。
あなたは私の目に喜びであった。あなたにあるものは全ては完全であった。私はあなた方一人一人のあらゆる詳細を楽しんだ。しかし、現在、あなたは目を他に向けている。私の心はこれで傷ついている。少しずつ、あなたは私、即ちあなたの創造主から落ちて行っている。あなたは私にとって、ラブストーリーのようなものであった。その意図は永遠に互いを楽しむことであった。しかし、私は世と世の魅力へと向かったあなたを失いつつあった。あなたはそれを大いに楽しんでいたので、私は傍らに立って、いつあなたが再び私、あなたの創造主、あなたの鼻に命を吹き込んだ者の方に目を向けてくれるかと見ていた。
しかし、あなたはこの世の楽しみを選んだ。それがあなたにとって、はるかに良い匂いがするからだ。しかし、あなたの人生においてあなたの導きであるべき私の匂い、私の道、私の指示、私の計画、私の言葉そのもの、私の聖霊によって記された聖なる言葉はあなたの目には楽しみが見つからないいのである。これはあなたが為し得る、最悪の選択である。あなたの中に命を息吹き込んだあなたの造り主に反抗する選び方は為すべき善ではない。
それゆえ、天の門が閉まろうとしている。私の言葉が言う通り、確かにその道は細い。しかし、門が閉まろうとしているが、これまで彼らの主への愛と明け渡しをもってずっと私に従ってきた者たちがそこから入ろうとしているのである。彼らは報いは大きい。彼らの永遠の命は計り知れない喜びと平和と愛の充満は圧倒的であろう。私の場所は美しい所である。私はあらゆる類のものを創造しておいた。それをあなたがあなたの造り主なる私と一緒に永遠に楽しむ事が出来るためである。私はあなた方一人一人の為にユニークなプランを考え抜いた。きっとあなたは大いに喜ぶ事であろうに。あなたが追い求めているはかないこの世のものは、私があなたの為に用意して持っているものと比べるなら木っ端微塵になってしまう。
だから、よく聞きなさい。それを全て明け渡しなさい。私の言葉が言う通りに、書いてある通りに、天にいるあなたの神の前で聖なる生活を送りなさい。そうではなく、罪と偶像礼拝でいっぱいの悪臭ただよう世界で好き勝手をする事で、あなたは地獄への途上にあるのだ。なぜあなたは私の言葉が厳しくて警告がいっぱいだと考えるのか? 私は地獄がどのようなものであるかを知っているからである。そこでは多くの魂たちが、もう一度チャンスをと、大声で叫んでいる。彼らは今、私に従う為なら何でもすると言う。彼らはサタンによって指導された世的な活動によって誤導された事が分かっているのである。現在、彼らは永遠の苦痛と痛みの中にいる。彼らの苦痛は終りを知らないのだ。 ☆ほとんどの人たちはこの通り。
私がしばしば地獄を訪問する際に彼らが私を見ると、今では私の血のパワーを認識しているのである。私の血は現世においてのみ効力があるのである。今それを拒絶するなら、あなたは永遠の為の選択をする事になる。あなたがいったん失われたのなら、自分の運命を自分自身が選択したのであるから、私の血があなたを救う事はできない。私はあなたに自由意志を与えた。私があなたに豊かな命を与える為に、私はあなた方全ての為に、恐るべき死を遂げた。この豊かな命は永遠の為である。しかし、あなたは私から即ちあなたの神また創造主から離れて世の豊富を追い求めている。これはそんな事の為では決してなかった。
私の民よ、あなた方が私から遠く離れてさまようときどうなるか、あなた方は十分に分かっている。あなたの霊的存在の中でその事を知っている。それは神の義である。「私である」は義なる神である。それなら、誰も失われない筈だ。あなたにはまだ機会がある。しかし、一旦ドアが善人の為に閉じつつあるとすれば、あなたには殆ど望みがない。私の花嫁はその創造者と私による彼女の勝利を祝って、私と共に天にいる事になる。あなたもそんな事になっても構わないのかね?(訳注:ドアが閉じて取り残される事)
私の心は痛む。しかし、私は言おう、よろしいと。私に他に何ができる?あなたは自由意志を持つ者として創造された。しかし、誰もが失われて永遠を地獄で過ごす事が私の願いではない。あなたは、自分は地獄には行かない、と考えている。私は日曜日に私の神様を覚えて、教会へ行きます。人に危害を加えたりしません。あなたは私の言葉に違反しておいて、人に危害を加えないだろうか?あなたの全てを尽くしてあなたの神なる主を愛し、あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい。あなたは隣人に証ししたかね?彼らは、あなたが特別な、血筋の異なった、この世の何よりも優って自分の神を愛している事を知っているかね?彼らは、このような愛があなたから流れているのを見ているだろうか?彼らは知っているかね?私があなたをそこへ置いたのは、あなたが私の証し人となる為だ。
あなたが会う者たちはみな「私である」があなたの神である事を知るべきである。しかし、あなた方の多くが私の名に言及する事さえ恥じている。言っておくが、私は裸になってあなたの罪の荷を背負ったが恥ずかしがりはしなかった。私があなたの為に鞭打ちに耐えるのに恥ずかしがりはしなかった。当時の支配者たちから馬鹿にされたり弄ばれたりして私自身辱しめを受けたけれども、私は恥ずかしがりはしなかった。
しかし、あなた方がみんなしなければならない事は私の名を口に出す事である。ところが、あなた方はそれを自分の唇に乗せる事もできない。それは、「私である」があなたの心にない事を意味する。それはあなたにとって、あなたの神を喜ばせる事より、人を喜ばせる方が大切である事を意味する。 私が雲の中にあって現れる時、完全に私に明け渡し、私の名の為にその人生を捧げた者たちを取り上げる時、恥ずかしい思いをする事はないのである。しかしながら、いわゆる世の友に同調して私を否定し、嘲笑い、からかったりする者たちからは私の顔を背ける。その世の友たるや私の聖なる名を罵り、私の言葉、即ち私の聖なる言葉によって生きる必要を全く考えない者たちであって、それで万事うまく行くし犯罪が世を支配摺る事はないと考える者たちである。
おお、そうだ、敵があなたを引っ張っているのだが、あなたはそうする許可を彼に与えている。私は義なる神である。それでも、私はあなたに自由意志を与えた。あなたが為すあらゆる選択はあなた自身のものである。だから、ある日、あなたが私の聖なる王座の前に立つ時、来て言い訳をしてはいけない。私はそれを受け入れない。全てかゼロかである。中間は受け付けない。私の父も同じである。
今は恵みの時(訳注:I2コリント6:2)。私があなたにこれを全て可能とした。だから、賢明に選ぶ事である。私の民よ、これは永遠の為の選択である。あなたの面倒をみていなければ、私はあなたの為に死んではいない。道は開いている、選択はあなたのものである。 「私である」が語りました。アーメン。」

エペソ書1: 4 1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
イザヤ43: 6-7 6 私は北に向かって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。7 全てわが名をもってとなえられる者をこさせよ。私は彼らをわが栄光の為に創造し、これを造り、これを仕立てた」。
イザヤ45:12 12 私は地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。
創世記2:7 2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
1 テサロニケ 4:7-8 7 神が私たちを召されたのは、汚れた事をする為ではなく、清くなるためである。8 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
創世記28:17 17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
ヨシュア23:16 16 もし、あなたがたの神、主が命じられたその契約を犯し、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、主はあなた方に向かって怒りを発し、あなたがたは、主が賜わった良い地から、すみやかに滅びうせるであろう」。
1 サムエル15:24 24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
ルカ9:26 26 私と私の言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来る時、その者を恥じるであろう。
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11.1.13日   翻訳は東信男兄
      真理の言葉ミニストリー 星野明義 和子        

神が2人の目撃者を使う事に決めている意味は聖書の通りです。

Deuteronomy 17:6: At the mouth of two witnesses, or three witnesses, shall he that is worthy of death be put to death; but at the mouth of one witness he shall not be put to death.
申命記17:6 二人の証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなけれ
 ばならない。一人の証言で死刑にしてはならない。
Deuteronomy 19:15: One witness shall not rise up against a man for any iniquity, or for any sin, in any sin that he sinneth: at the mouth of two witnesses, or at the mouth of three witnesses, shall the matter be established.
申命記19:15 どんな咎でも、どんな罪でも、全て人が犯した罪は、一人の証
 人によっては立証されない。二人の証人の証言、または三人の証人の証言によって、その事は立証されなければならない。
Matthew 18:16: But if he will not hear thee, then take with thee one or two more, that in the mouth of two or three witnesses every word may be established.
マタイ18:16 もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人を一緒に連れて行きなさい。二人か三人の証人の口によって、全ての事実が確認される為です。
2 Corinthians 13:1: This is the third time I am coming to you. In the mouth of two or three witnesses shall every word be established.
Ⅱコリント13:1 私があなた方たの所へ行くのは、これで三度目です。全て
  の事実は、二人か三人の証人の口によって確認されるのです。
1 Timothy 5:19: Against an elder receive not an accusation, but before two or three witnesses.
Ⅰテモテ5:19 長老に対する訴えは、二人か三人の証人がなければ、受理して
 はいけません。
Luke 10:1: After these things the LORD appointed other seventy also, and sent them two and two before his face into every city and place, whither he himself would come.
ルカ10:1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、二人ずつ先にお遣わしになった。
http://end-times-prophecy.com
End-Times-Prophecy.com JESUS WILL RETURN … SOON
☆ 上記終末預言.comサイトを翻訳したものです。(星野)
 ただし、膨大にあり、翻訳が間に合いません。これはエキサイト自動翻訳をしたものです。正確には原文の英文をお読み下さい。

11.2.24日
       真理の言葉ミニストリー  星野明義 和子